「笠置山」  その6

 「笠置山」の「貝吹き岩」

 「二の丸跡」から西へ進んで、左(南)へ回り込むと、これまた大きな「貝吹き岩」があります。昔は、修験者が「貝吹き岩」の上で法螺貝を吹いたと云い、また、1331年(元弘元年)の「元弘の変」の折りには、後醍醐天皇方の武士が士気をたかめるために、この岩上よりさかんに法螺貝を吹いたとも云われています。なお、この辺りから真下にJR関西線の「笠置駅」と「笠置産業振興会館」が見えて、西方へ流れる「木津川」に架かった朱色のトラス橋「笠置大橋」も見えます。また「木津川」の対岸は、「旧伊賀街道」の国道163号線で、やはり「木津川」沿いに京都府加茂町から木津町の方面へ延びているのが見えます。
 「笠置山」の「もみじ公園」

 「貝吹き岩」の南真下が「もみじ公園」で、10月第2土・日曜日が笠置の「秋まつり」、これを祝って轟きわたる「元弘太鼓(げんこうたいこ)」が鬼の面を被った僧兵によって打ち鳴らされ、「泣き相撲」の子の声が秋空に響きわたると、笠置の山々は、金色に染まり、特にここ「もみじ公園」は、錦織りにまとわれて、麓からでも真っ赤に燃えている様に見えます。また、11月中旬が「笠置もみじまつり」で、この頃臨時マイクロバスが無料でピストン運転されて、麓のJR関西線「笠置駅」の隣に建つ「笠置産業振興会館(TEL0743-95-2880)」の横から、低くても坂の急な笠置山の道を「笠置寺」の山門の下まで乗せてくれます。
 史蹟「後醍醐天皇行在所跡」

 「もみじ公園」を右下に見て左へ曲がり、笠置山の山頂へ石段を上がると、太平記に「笠置の城は・・」と書かれた史蹟「後醍醐天皇行在所跡」に至ります。1331年(元弘元年)9月29日風雨激しい闇夜の中、鎌倉幕府方50余人の決死隊が笠置山の北岸から岸壁をよじ登り、夜襲をかけたので、「大磨崖仏」をはじめ「笠置寺」山内四十九ケ寺の全てが灰塵に帰してしまい、ついに後醍醐天皇は捕らえられ、日本海に浮かぶ島根県の「隠岐島」へ流されてしまいました。その後、後醍醐天皇は、秘かに「隠岐島」を脱出し、1334年(建武元年)「建武の中興」を成し遂げたが、2年後足利尊氏と仲違いし、吉野へ逃れました。




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