「香芝市」から 「王寺町」辺り  その4

 逢坂の「大坂山口神社」の「拝殿」

 「二上山博物館」からちょっと北へ行って、近鉄の大阪線沿いに西へ進み、踏切を渡って北へ向かうと小さな「すがる川」に沿った道が旧「大阪道」で、西の大坂からここ逢坂(おうさか)を通り、西へ行って高田の横大路を経て初瀬、伊勢へ通じる伊勢街道へ抜けていました。川沿いに左へ行き、右へ折れて川を渡ると、突き当りが香芝市逢坂の「大坂山口神社」、大和国に14社ある「山口神社」の1つで、第10代崇神天皇9年3月15日疫病を治めるため、黒盾8枚と黒矛8竿を祀られ、859年(貞観元年)に神階正五位上を賜り、勅使が参向し、祈雨祭八十五座の中の一座に列して、祈年祭に馬壱頭を加えて官弊を賜りました。
 逢坂の「大坂山口神社」の「本殿」

 なお、「大坂山口神社」拝殿の北側に巨石があり、形状は亀の姿に似て瑞象を現し、元はこの巨石を祭神として1200年前から崇めていたようですが、今の御祭神は、伊ざ諾、伊ざ冊2尊の子で「大山祇(おおやまつみ)命」「素さ鳴尊」と、大山祇命の子「神大市比売命」の3柱を祀っています。ご本殿は、三間社流造檜皮葺で、軒廻りや妻飾、向拝部分の絵様・組物・戸口等に桃山時代の気風を残し、県下の流造本殿の中でも古例に属する貴重な社殿で、寛永15年の棟札があり、昭和63年3月奈良県の文化財に指定されていますが、近年破損が著しく、平成5年1月から1年有余月をかけ、工費7000万円で修復されました。
 香芝市穴虫東の「弘法井戸」

 逢坂の「大坂山口神社」から西へ行って、近鉄大阪線の踏切を渡り、近鉄「二上駅」南口の前から集落に入って南へ向かい、右(西)へ廻って行くと、突き当たりが穴虫の「大坂山口神社」で、駅から徒歩約5分です。なお、山口神社の前を左に折れた所に空海が錫杖(しゃくじょう)で掘ったと伝えられている「弘法井戸」があります。横幅約1m、奥行約2mで、深さ50cm、柄の長い柄杓が備えられ、「飲水です」と書かれた紙が注連縄の上に張られています。水は今もたっぷり潤っており、ここは昔、奈良から難波へ向う古代からの幹道であった大坂越えの1つ、「穴虫峠」で、往時は井戸の水が往来者の喉を潤していました。
 穴虫の旧村社「大坂山口神社」

 往時の大坂越えの1つである穴虫(あなむし)街道に面し、二上山(にじょううざん)北方の独立小丘北麓に鎮座しているのが穴虫の「大坂山口神社」です。やはり延喜式内社で、祭神は牛頭天王(ごずてんのう、須佐之男命)と、大山祗命(おおやまつみノみこと)、春日の天児屋根命(あめノこやねノみこと)で、当社の牛頭天王信仰(祇園信仰)は近世に広く知れ渡り、現廃寺の神宮寺「祇園宮寺」威光(いこう)庵が昔は社前にあって、奉納の宮相撲が古来有名でした。本殿には、寛文4年(1627年)以来の棟札が奉納され、現在の本殿は、1815年(文化12年)再建と桁に墨書のある三間社流造のりっばな社です。




奈良観光表紙に戻る  香芝市周辺図を開く  前のページに戻る   次のページに進む