南山の辺の道  その2

 崇神(すじん)天皇山邊道勾岡上陵

 長岳寺から「山の辺の道」を南へ向うと、柳本古墳群で最大の行燈塚古墳で、黒塚古墳からなら真っ直ぐ東へ進み国道169号を渡った所に在り、1866年(慶応2年)第10代崇神天皇開化天皇の皇子)陵に治定され、正面から石段を上がると、神明鳥居の背後に濠が見えます。全長242mの巨大な前方後円墳で、前方部幅100m、後円部直径158mで、奈良盆地を巡る青垣から西方へ延びた丘陵端部の傾斜地に造られている為、濠は江戸時代の改修工事で、堤防により三段に区切られ、各濠間の水面差はかなり高く、濠に浮島が在り、また、堤も高く造られているので、土手の上を巡ると、眼下に奈良盆地が一望されます。
 伊射奈岐(いざなぎ)神社

 国道169号線を挟んで、崇神天皇陵の左斜め前の西側にあるこん盛りとした森が延喜式内社に比定されている「伊射奈岐神社(柳本神社)」です。中世の頃には楊本庄の総鎮守で、祭神に伊邪那岐神と菅原道真が祀られています。また、伊射奈岐神社の境内の裏手の丘が全長113mの前方後円墳「天神山古墳」で、ここも崇神天皇陵の陪塚の1つと見られ、昭和35年県道天理、桜井線の改良工事に伴って発掘調査が行われ、周濠は認められず埴輪も無かったが、竪穴式石室に朱を約40キロ入れた木櫃状のものがあり、その他に鏡23面、直刀、鉄鏃、鉄鎌、錐(やりかんな)、釧、短册形鉄斧など数多くの副葬品が出土しました。

 柳本古墳群の1つ「櫛山古墳」

 崇神天皇陵の行燈山(あんどんやま)古墳と「山の辺の道」を挟み山側(東)に史跡「櫛山(くしやま)古墳」があり、全長160m、中円部径90m、高さ16m、円部の前と後に方丘部を取り付け、全国的にも余り例を見ない奇妙な形をした「双方中円墳」で、封土は三段に築かれ、段毎に円筒埴輪を立てた痕があり、東と西の方丘に小石を敷き詰めた祭祀の跡が見られます。また、「櫛山古墳」の南側から龍王山へ登る道があり、山道の両側に古墳時代後期の円墳が約300基と、横穴式古墳が約300基在り、併せて約600基で「龍王山古墳群」を形成、松本清張著「火の路」の1章「死者の谷」に詳しく書かれています。




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