葛城山および葛城古道  その6

 葛城一言主神社(TEL 07456-6-0178)

 更に奈良盆地を一望する高台の道を南へ800m行くと、「一言主神社」が鎮座し、祭神は事代主(ことしろぬし)命と幼武(わかたける)尊、「古事記」では、二人が金剛山で鸚鵡返しの問答をして、第21代雄略天皇が名を問うと、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主大神なるぞ」と答えました。また、当地は新羅を討った事が「百済記」に載っている沙至比跪(さちひこ)、即ち葛城襲津彦(そつひこ)の本拠で、彼を詠んだ万葉歌碑が境内にあり

 葛城の襲津彦 真弓荒木にも 頼めや
 君がわが名告りなむ  巻11−2639
 県下最大の銀杏の御神木「乳銀杏」

 拝殿の前に立ち、樹高24m、幹周り4.3mの大イチョウは、子供を宿した母の姿に似て木の膨らみが妊婦の様に見え、垂れ下がった乳房からは今にも乳白色の滴が垂れそうなので「乳銀杏(ちちいちょう)」または「宿り木」とも呼ばれ、推定樹齢1200年の巨樹です。古木にしか発生しない「乳房」は、樹皮のコルク質が発達し表面が柔らかくなって出来た物ですが、これは巨樹の表面積を広げ、内と外の空気を交換する「気根」の働きを良くするラジエーターの役目を果たしています。婦人が祈ると、健康な子が授かり、お乳の出が良くなるそうで、古くから子供を思う親の願いが込められ、地元の人々の信仰を集めています。
 一言主(ひとことぬし)神社の「蜘蛛塚」

 「一言主神社」の拝殿の横にちょこんと座っている老夫婦の「至福の像」が在りますが、そのすぐ後ろ、板塀の中に横幅約1mの石が置かれ、「蜘蛛塚」ですが、気を付けないと見逃します。奈良時代の720年(養老4年)奈良朝2代目の女帝元正天皇の時、天武天皇の皇子・舎人親王や太安万侶らにより編纂された「日本書紀」によると、昔葛城山に手足の長い土蜘蛛と云われる人が住んでいて暴れ廻るので、神武天皇が葛(カツラ)の蔓(つる)で編んだ網を作り、それで捕えて殺し、ここに葬りました。よって、この邑を葛城(カツラギ)と云いました。また、石段を下りて右へ入ると、崖っぷちの小瀧の下に「亀石」も在ります。




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