佐保、佐紀路辺り その6

 奈良朝2代目「元正天皇」奈保山西陵

 バス停「奈保山御陵」の直ぐ西側が、女帝第44代元正天皇の「御陵」で、彼女は、父が草壁皇子、母が元明天皇、弟が第42代文武天皇、妹が吉備内親王です。「続日本紀」によると「氷高皇女(ひたかノひめみこ)沈静えんれんにして・・・」と書かれ、かなり美貌の持ち主だった様で、715年(霊亀元年)9月2日母の元明天皇に譲位され、36歳独身で即位し、「養老律令」の編纂、「日本書紀」の撰進、三世一身の法の制定、隼人の反乱の処理などを行い、724年(神亀元年)2月甥の首(聖武天皇)に譲位し、太上天皇になって、748年(天平20年)4月68歳で未婚のまま崩御、万葉集に七首の歌を残しています。
 万葉集にも詠われた史跡「黒髪山」

 元明、元正天皇の両御陵からバス通りを南へ上がりバス停「黒髪山」の手前を右へ曲がり、ゴルフの打ちっ放しに沿って坂道を上がって、左へ曲がり、更に左へ曲がって少し行くと、切り通しの手前の所で、祠に納まったお地蔵さんの右隣が史跡「大黒芝」、佐保山西陵七ツ石(いわ)、聖武天皇生母藤原宮子后宮墓稜石、中央に「石母」、右に「黒住大明神」、左に「豊國大明神」の大きな石碑が建っています。更にその右隣が、朱色の鳥居が12本建った「黒髪山稲荷神社」で

烏(ぬば)玉の 黒髪山の山草(やますげ)に
 小雨降しき しくしく思ゆ  万葉集巻11-2456
 那富山墓(なほやまのはか)

 「黒髪山稲荷神社」から東へ行くと切り通しの上の高い陸橋ですが、その手前にカーブミラーのある三叉路を南へ進み、2,3軒住宅の前を通って木立の中へ入って行くと、右手にコンクリートの柵が見え、その中に、728年(神亀5年)1歳で亡くなった、聖武天皇と光明子(729年8月皇后になる)の第1皇子基(もとい)皇子のお墓があります。柵の中には入れませんが、こんもりと土盛りをされたお墓の四つ角のそれぞれに「犬石」「七狐石」等と呼ばれる不思議な石が置かれています。高さ1mぐらいの石の面に人身獣頭像が線刻され、特に北西の角にある刀を杖にして立番している武人(杖刀人)は「謎の隼人石」です。




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