葛城山および葛城古道  その5

 九品寺(TEL 0745-62-3133)

 秋になると、コスモスの花が一面に咲き乱れる里、古代ロマンの故郷「葛城古道」を進み、生け垣の前の瓦葺2棟の祠の中に前垂れを掛けた六地蔵がそれぞれ並ぶ前を過ぎると直ぐに「九品寺」の小さな山門で、門を入ると参道脇の奥まった所に小さな五輪塔や身代地蔵尊が手を合わせて立ち、更に参道を進み、石段を上がると、奈良盆地を一望のもとに眺められる高台に浄土宗の古刹「九品寺(くほんじ)」の本堂が建ち、横に開祖の行基菩薩が立っています。九品寺は、この地の土豪・楢原氏の菩提寺でも有り、境内に一族の墓碑が建ち、本堂に安置されている本尊は、平安時代に作られた半丈六の国重文、「阿弥陀如来坐像」です。
 九品寺の「千体石仏」

 「石仏の寺」の異名がある「九品寺」は、平安時代空海行基の遺跡を尋ねて戒那千坊を創始して、その後、1560年代(永禄年間)弘誓が浄土宗に改宗して、現在に至っています。なお、夏に「姥百合(うばゆり)」の花が咲く本堂の裏山へ上がると、「身代り石仏」とも呼ばれている「千体石仏」が在り、その起こりは、かって南北朝時代この地を支配した豪族楢原(ならはら)氏が南朝方に味方して亡くなった兵士の慰霊を弔うために造られた小さな石仏で、赤いよだれ掛けをして、おびただしく石段の上にびしっと並んで居るさまは壮観です。また、門前に池泉回遊式庭園やミニの西国三十三箇所札所巡りをする所も在ります。
 綏靖天皇葛城高丘宮跡

 「九品寺」の山門を出て直ぐ進み、直ぐに三叉路を右(南)へ曲がって畦道をしばらく行くと、山際の杉木立の一角に「綏靖天皇葛城高丘宮跡」と彫られた石碑が建っています。第2代綏靖(すいぜい)天皇は、日本書紀によると、初代神武天皇の第3皇子で、名を神渟名川耳尊(かんぬなかわみみノみこと)と称し、母は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめノみこと)と云い、五十鈴媛は三輪山の麓を流れる狭井川の畔で6人の乙女達とササユリを摘んでいるとき、初代神武天皇に見初められ、神渟名川耳尊ら3子を生み、現在は近鉄奈良駅の西側を通る「やすらぎの道」沿いに建つ「率川神社」の御祭神として祀られています。




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