葛城山および葛城古道  その10

 真言宗の末寺、高天寺「橋本院」

「極楽寺」の墓地を抜けて、案内板のない山の中の獣道の様な所を歩き、金剛山の方へ向かって登ると、高天山(たかまやま)の中腹で視界が開け、目の前に高天寺「橋本院」の瞑想の庭が現れます。奈良朝2代目で女帝の第44代元正天皇の勅により行基が開いた高天寺の一子院が「橋本院」で、初めは奈良の興福寺に属し、後に弘法大師の真言宗に属しました。また、唐から苦節11年盲目になりながら5回の失敗を乗り越えて、6度目にやっと来日した鑑真も第45代聖武天皇の任命により高天寺の住職になったほどで、昔は格式の高い大寺院で、金剛山の転法輪寺七坊の1つとして、石寺、朝原寺等と共に権威を誇ったお寺です。
 高天寺「橋本院」を裏の高台から見る

「橋本院」は、葛城修験宗の根本道場で、役行者が修行した所ですが、また、南北朝にも縁(ゆかり)の有る寺院で、安置されている御本尊は、木彫りで高さ147cmの巨像、十一面観世音菩薩立像です。江戸期に大修理されて、金箔の偉容を誇る長谷式観音で、昔から生かせ命(いのち)の本尊として近郷の信仰をあつめて来ました。また、脇壇に50匹の象に乗った普賢菩薩や、牛王にまたがった大威徳明王も奉祀し、木彫りでは珍しい涅槃(ねはん)像は、現在奈良国立博物館に蔵せられています。なお、本尊の十一面観音立像は、毎月21日と、春と秋の彼岸法要の日にのみ御簾(みす)を開けられ、その日だけ拝観できます。
 天孫降臨(てんそんこうりん)の「高天原」

 「橋本院」裏の高台は神話の里で「史跡高天原」の石碑が建っています。 古事記によると、大国主神が国を譲って呉れたので、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、長男の天之偲穂耳命(あめノおしほみみノみこと、天忍穂耳尊)にその国を治める様に云ったけど、代わりに孫の邇々芸命(ににぎノみこと、瓊々杵尊)が真床御衾(まとこおふすま)にくるまって、天宇受売命(あめノうずめノみこと)ら五伴緒(いつともノお)を従え、途中で猿田毘古神(さるたびこノかみ)がサーチライトで照らす道を通り、ここ「高天原(たかまがはら)」から筑紫日向(宮崎県)の高千穂の霊(く)じふる峰に降臨したと云われています。




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