葛城山および葛城古道  その11

 高天彦(たかまひこ)神社

 史蹟「高天原」から更に南西へ登ると、金剛山の東麓、御所市北窪孫十郎方に「高天彦神社」が鎮座しています。祭神は高御産巣日神(たかみむすびノかみ、高皇産霊神)、市杵島姫(いちきしまひめ)命、菅原道真で、また、高皇産霊神の別称は高天彦神で、金剛山別当葛城氏の祖神でもあり、古来より背後の白雲峰(高天山、標高694m)を御神体とし、山嶺を灯明松と云い、773年(宝亀4年)大和ノ国に神戸四戸を与えられ、806年(延暦25年)4月26日には井上内親王の願により四時幣帛に預かり、後世、彦沢権現とも称して、北窪・極楽寺両村の氏神で、例祭に栄山寺前の清水を用い小判形の牛の舌餅を作ります。
 鶯宿梅(おうしゅくばい)

延喜式内社で最高の格式を誇る名神大社の「高天彦神社」は、御神体の白雲嶽(しらくもだけ)を背に神さびた風情で伝承地にふさわしい荘厳な所に鎮座し、社殿から東方へ延びた参道の脇に千古の老杉が聳え、そして、参道を出た南東の角に「鶯宿梅」が植わっています。奈良時代、若死した小僧の悲運を、彼の師が嘆いていると、梅の木に鶯が宿り、和歌を詠じて鳴き

 初春の 朝毎(あしたごと)には
  来たれども 逢わでぞ帰る 元の住みかに

そして、この梅の木は「鶯宿梅」と名付られました。
 蜘蛛窟(くもくつ)

「鶯宿梅」の横を通り、更に田圃の畦道を通って、杉木立の丘の上に「蜘蛛窟」の石碑が建っています。一言主神社「蜘蛛塚」へ葬られた土蜘蛛が住んでいた所で、古事記では、神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこノみこと、後の初代神武天皇)東征の時に、大和を平定しようとしたら奈良県桜井市忍坂(おつさか)の大室(おほむろ、大洞窟)に尾の有る土蜘蛛、八十建(やそたける、多くの荒ぶる人)が居たと書かれていますが、日本書紀によると、葛城邑(かつらぎむら)にも赤銅(あかがね)色をした八十梟帥(やそたける)が居たと書かれています。多分この蜘蛛窟に住んでいたと思われるが、今は穴が塞がっています。




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