山の辺の道  その14

 「夜都伎(やつき)神社」の朱色の鳥居

 「西乗鞍古墳」等へ廻って寄り道をした場合には、後戻りをしないで大きな道をそのまま南へ進みます。朱色の鳥居が見えたらそれをくぐって、東へ進むと、また「山の辺の道」へ戻ります。なお、朱色の鳥居は「夜都伎(やつき)神社」のものですが、1848年(嘉永元年)4月に春日大社の摂社「若宮神社」から下げられた鳥居で、鳥居を額にして見えるこんもりとした手前の小さな丘が「宮山古墳」です。「山の辺の道」は古墳の西側を巡る様になっており、墳上に延喜式内社「夜都伎神社」が鎮座していて、ここは、天理市乙木(おとぎ)町の北方集落からやや離れた所で、古墳は宮山(または、たいこ山)と呼ばれています。
 夜都伎神社の藁葺「拝殿」

 「夜都伎神社」は、続に「春日神社」とも呼ばれ、奈良の春日大社と同じ四神を祀っています。天理市の乙木には元々「夜都伎神社」と「春日神社」の2社が在ったけど、「夜都伎神社」の社地を竹之内の三間塚池と交換して、春日神社1社にし、社名のみを変えて残し、「夜都伎(やとぎ)神社」としました。昔から奈良の春日大社と縁が深く、明治維新まで春日大社へ蓮の御供えと称する神選を献供し、春日大社から若宮社殿と鳥居を下げられるのが例で、今の当社の本殿も明治39年に春日大社摂社の若宮神社から移築されたものです。また、本殿前の「拝殿」は写真の様に藁葺(わらぶき)で、この地方では珍しい神社建築です。
 竹之内環濠集落

 「夜都伎神社」の白いコンクリートの鳥居をくぐり真っ直ぐ南へ進んで突き当たったら、左に折れ、また直ぐ右に折れ「山の辺の道」を南へ真っ直ぐ進むと、道の脇に苺等を栽培しているビニールハウスが在り、左(東)側ちょっと離れた辺りに集落が密集していて「竹之内環濠集落」です。集落の入口の所まで行くと写真の様な環濠が今も残っており、数ある大和の環濠集落のうちでも、最高度の位置に有り、そこから更に南へ約1キロほど行った所にも「萱生(かよう)環濠集落」が残っていますけど、中世の大和の集落では、外敵の侵入を防ぐために、集落の周りに濠を巡らし、外への出入り口には橋を架けて、自衛していました。




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