金魚と百万石の城下町「大和郡山」  その16

 矢田寺の「味噌なめ地蔵」、伝説話は次に

 また、毎年4月第3日曜日、「矢田寺」で行われる「練り供養」では、矢田寺中興の祖、満米上人の冥土往来を再現し、午後3時、烏帽子姿の楽人の笙の音に合わせて、赤鬼、青鬼を先頭に、閻魔大王、金色の面と光背を付けた地蔵菩薩ほか25菩薩、法衣と袈裟を着けた満米上人が菩薩堂から本堂まで高台の上を練り歩き、本堂で法要を済ませてから、また元の菩薩堂へ帰られます。なお、矢田寺の地蔵菩薩は、右手第一、第二指を捻じ、掌を前にして胸前に上げ、左手は掌を上にして宝珠をのせ、「矢田型地蔵(試みの地蔵)」と呼ばれ、境内参道の北側に立つ「味噌なめ地蔵」も花崗岩に等身大の矢田型地蔵を半肉彫りしています。
 矢田寺(別名、あじさい寺)60種8000株

 昔、1人の女人が自宅で味噌を作っていましたが、なかなか美味(うま)く出来なくて困っていました。するとある夜、夢の中に矢田寺の石地蔵菩薩が現れたので、翌朝矢田寺へお参りして、その石地蔵に味噌をお供えした上に、更に地蔵の口にもべったりと味噌を塗りました。そして、帰宅して、自宅の味噌を嘗めてみると、それはそれは凄く味の良い味噌になっておりました。それから誰いうとなく、「味噌なめ地蔵」、「味噌くい地蔵」といわれるようになったと云うことです。今でも時々、味の良い味噌が出来ます様にと、地蔵さんの口に味噌を塗って帰る人がいます。なお、矢田寺の紫陽花は、6月上旬〜7月上旬が見頃です。
 矢田寺の「見送り地蔵」

 なお、金剛山寺(矢田寺)には、「味噌なめ地蔵」以外にもいわれのある矢田型の地蔵石仏があり、最も古いのは、少し参道を下がった所の「見送り地蔵」。満米上人が地獄から帰って、地獄で見た地蔵菩薩を仏師に刻ませたが、思うように出来ずにいると、4人の翁が現れ、3日3晩で彫り上げた23日、上人が名を聞くと「我らは仏師でなく、仏法守護の神、汝の念願をかなえる為に来た」と云って、春日山の方へ飛んで行きました。その4翁らは、実は春日の四社明神で、その時、帰って行く翁を見送ったのが「見送り地蔵」です。花崗岩製、高さ190cmの舟形光背に、永正12年(1515年)4月8日本願妙円の刻銘あり。




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