金魚と百万石の城下町「大和郡山」  その17

 矢田自然公園「国見台展望台」

 また、五月(さつき)の頃、「矢田寺」から「県立矢田自然公園」内の「近畿自然歩道」を南へ辿ると、所々にツツジが咲いていて、約2キロで「松尾寺」へ至りますが、途中1箇所だけ「展望台」があります。なお、矢田の地名は、1736年(享保21年)刊の「大和志」に「矢田野、矢田村、古歌に有、古事記に日く、天皇が八田ノ若女郎(わかいらつめ)を恋ひ、御歌を賜り遣す」とあり、仁徳天皇が「八田の1本菅は、子持たず立ちか荒れなむ、あたら菅原、言をこそ菅原と言わめ、あたら清し女」と歌を詠むと、八田ノ若郎女は、「八田の1本菅は、独り居りとも、大君しよしと聞こさば、独り居りとも」と歌を返しました。
 松尾寺(TEL 0743-53-5023)

 単立寺院、補陀洛山「松尾寺(まつおでら)」は、718年(養老2年)2月天武天皇第五皇子舎人(とねり)親王42歳が、日本最古の勅撰歴史書「日本書紀」の無事編纂と厄除を祈願すると、紫雲がたなびき観音が出現したので、法隆寺東院住持の永業禅師と共に建立し、北惣門から閼伽井屋の横を通って百八つの石段を上がると、1337年(建武4年)再建の重文「本堂」で、5間四方の入母屋造、本尊は県文化、厄除け「千手観音立像」です。なお、「行者堂」、「阿弥陀堂」が並び、「七福神堂」に安置されている「大黒天」は鎌倉時代の作で国重文、更に上段には「三重塔」が建ち、我が国最古の厄除観音霊場の名刹です。
 松尾寺の「三重塔」

 また、矢田丘陵の松尾山(海抜315.4m)に建つ「松尾寺」は、醍醐三宝院の当山派に属される山伏修験道の霊場でもあり、「行者堂」に安置する「木造役行者坐像」は、寄木造で像高130.3cm、左右に前鬼、後鬼の像を配置して岩座に腰をかけ、高下駄をはいて、左手に独鈷を握り、右手に錫杖を持つ行者特有の像で、作柄から見て室町時代中期頃の作と考えられ、市指定文化財です。他に円空作の「役行者像」や、室町時代の作で国重文の「金銅金具装の山伏の笈(おい)」は、檜材で、黒漆塗、総高78.8cm、正面幅64.8cm、4足の箱形で、正面最上部を山形に造られ、銅板毛彫鎚金の金具並びに装飾を付け、胴部の正面外側を上下2段に分かち、上段は扉2枚を蝶番(ちょうつがい)で観音開きとし、扉に五重塔の切抜銅板を貼り、下段はけんどん板をはめ、弁財天・大黒天の銅板を貼り、上段左右側面に片開きの脇扉をもうけ、内側に文殊・普賢を描いています。なお他にも1300点にのぼる修験道関係文書等があります。




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