金魚と百万石の城下町「大和郡山」  その18

 国の重要文化財「小泉神社」

 「松尾寺」から西へ山を下りると、JR大和路線の「大和小泉駅」へ至りますが、途中の「芦川」を渡り「県道9号大和郡山斑鳩線」と交差して直ぐ、右の枝道へ入って行くと、小泉町字桐之内に「小泉神社」が鎮座します。重文の本殿は、丹土塗、一間社春日造、檜皮葺で、市指定文化財の女神像を祀っていますが、主神は素盞鳴命で、相殿に誉田別命(応神天皇)を祀っています。なお、山門は、明治維新後に近くの小泉城から移築された透門形式の冠木門です。また、境内に建つ石の燈籠は、小泉藩主以下家中や、村の座衆、とりわけ土豪川本嘉右衛門の名がある数々の燈籠は、当宮が衆人の信仰の中心であった事を示しています。
 「薙刀(なぎなた)池」と「旧片桐城跡」

 「小泉神社」の裏門から出て、真っ直ぐ西へ下りて行くと、直ぐの所に「寒牡丹」「石楠花」等が植わる小泉家の菩提寺、浄土宗「善福寺」があります。また少し北へ戻ると「薙刀池」があり、中世に地侍小泉氏がこの辺りを支配し、小泉陣屋を建てた城郭の跡で、後に、1585年(天正13年)豊臣秀長が郡山城主として入部した時、供に来た3家老の1人、羽田長門守4万石が、ここに居を構え、その時に構築したのが「薙刀池」で、1623年(元和元年)に片桐貞隆が小泉に陣屋を設ける時、この池をうまく利用し、その中に屋敷を儲けました。今は、財団法人「高林庵」、石州流茶道宗家の本部であり、「片桐家」の居です。
 小泉城趾(こいずみじょうし)

 「高林庵」の表に廻って、西南の方へ真っ直ぐ行くと、JR大和路線「大和小泉駅」へ至りますが、途中右にそれた直ぐの所に「小泉城趾」があります。この地は、中世の大和武士小泉氏が丘陵台地先端にある要害の場所に陣屋を構え、「小泉の館」、「小泉城」等と呼ばれた所です。839年(貞和6年)3月の「額安寺文書」に小泉出雲の名が見えるのが初見で、南北争乱の頃、既に頭角を現し、大和永享の乱で、小泉氏は越智党に組して、1439年(永享11年)3月畠山持国の軍によって越智党は熊野へ追われ、後に、小泉重栄・今力丸が繁栄し、1459年(長禄3年)筒井順永が小泉城を攻め、重栄・今力丸は切腹しました。




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