室生と大和富士周辺  その11

 万葉集に詠われた吉隠(よなばり)

 「鳥見山自然公園」から南東の近鉄大阪線榛原駅へ戻る途中、国道165号線と交叉し、道を西へ行って角柄(つのがら)を過ぎると直ぐ桜井市で、峠のバス停「吉隠」が猪養(いかい)の岡、天武天皇の子穂積皇子が、708年(和銅元年)6月25日に没した異母妹但馬皇女(たじまノひめみこ)の墓がある初瀬を望んで、非傷流涕(ひしょうりゅうてい)して歌を詠んだ所です。なお、恋人但馬皇女は、兄高市皇子の妃でした。吉隠に歌碑はないけど今でも寂しい所です。

 降る雪は あはにな降りそ吉隠の
 猪養の岡の寒からまくに 万葉集巻2−203
 神武東征「墨坂(すみさか)傳稱地」

 また、国道165号線を東へ戻って、榛原駅の直ぐ北側にある「あかね台住宅地」の東側の外れ辺りに、「墨坂傳稱地」の石碑が建っていますが、これは初代神武天皇即位前紀の戊午(つちのえノうま)年九月に八十梟帥(やそたれる)軍が、皇軍の進撃を妨害する為に真っ赤に燃えた炭火を置いた所なので、この地を「墨坂(すみさか)」と云う伝承地の石碑です。またそこから「榛原小学校」の校庭の下を南へ向かうと、大きな桜の木の横に「柿本人麻呂の万葉歌碑」が建ち

 君が家に 吾住坂(わが墨坂)の 家道をも
 我は忘れじ 命死なずは     巻4−504

屋形橋のある「元庄屋屋敷」

 「墨坂万葉歌碑」からそのまま道なりに南へ下ると近鉄大阪線の「榛原駅」へ至りますが、崖下へ降りて川沿いにちょっと北へ上がると、旧「伊勢街道」で、今でも大和棟の元庄屋屋敷には、写真の様な屋形橋が玄関前に架かっています。また、坂道を川沿いに下ると三叉路の角が近世の高札場で「札の辻」と呼ばれ、文政十一年(1828年)の銘がある道標が建って、石柱に「左あをこえみち、右いせ本かい道」と彫られています。昔の榛原は、伊勢表・本両街道が分岐する宿場町で、「青越え道」とは、榛原から東へ向かって室生口大野を通り、三重県の名張市に入り、青山町を越えて伊勢へ至る道の事で、また「伊勢本街道」とは

 本居宣長も泊まった「あぶらや」

 真っ直ぐ南へ行って、近鉄大阪線のガード下をくぐり、宇陀川(うだがわ)沿いに国道369号線で東へ行き、伊勢に向かう道の事です。なお、「道しるべ」の前に旅籠があります。幕末に建てられ、黒塗り格子戸で、切妻造、2階建、虫籠窓(むしこまど)の横に屋号の「あぶらや」を旧文字で書き、明治10年頃迄営業し、現在は居宅ですが、1772年(明和9年)3月5日松阪を出た本居宣長が大和吉野を訪ねる管笠(すががさ)日記の旅の途中で、萩原(榛原)の里で宿泊し、本居宣長43歳の連れは僧と医師、後の養子と後1人で、往路が伊勢表街道青越え、復路が御杖村〜三重県美杉(みすぎ)村を通る伊勢本街道でした。




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