奈良町  その2−2

 奈良市観光センター(TEL 0742-22-3900)

 「漢国神社」から「やすらぎの道」を南へ行って、「三条通り」と交差する北西の角に建っているのが、「奈良市観光センター」です。古都の奈良を紹介し、奈良市内だけでなく大和路の総合案内を行い、館内に平城宮の立体模型、伝統工芸品、観光土産品等も展示しています。入館は無料で、開館時間は、9:00〜21:00まで。お休みは年末年始(12月30日〜1月3日)の5日間だけで、ほとんど年中無休です。また、一度外へ出て、横から2階へ上がると「奈良市中央公民館(TEL 0742−26−6506)」で、机と椅子を置き、ちょっとしたロビーになっており、ビデオで奈良の昔話を数話ほど聞くことができます。
 菊水の紋瓦が載る「淨教寺」

 「奈良市観光センター」の西隣が淨土真宗・本願寺派、九條山「淨教寺」で、開基は行延(ぎょうえん)法師、元は河内国八尾庄司真野将監行延(ゆきのぶ)と云い、知勇兼備の武士でしたが、淨土真宗開祖親鸞聖人の直弟子となって、1244年(寛元2年)3月出家しました。第六世円誓(えんせい)の時、楠正季(まさすえ)の子右近衛将監正忠(まさただ)初陣で深手を負い、円誓の養子となって出家し空信と云い、南朝、光明院帝(後醍醐天皇)の勅願所になり「称佛名院」号を賜り、爾来寺紋は「菊水」で、1530年(享禄3年)大和郡山西城村へ移り、石山合戦の功により本願寺の顕如から号「淨教寺」を許されました。
 浄教寺の「ソテツの巨樹」

 1603年(慶長8年)徳川家康から南都上三條で御赦免の寺地を頂戴して現在地に移り、本尊は運慶作の阿弥陀如来立像です。なお、山門を入って直ぐ左に小さいながらも見事な「八重のしだれ桜」が植わっていますが、それより本堂前の「ソテツの巨樹」は、市指定文化財で、江戸時代初期当寺が現在地に開寺した時植えられたものです。本堂の庇に届くほどに高く、樹木の高さ約5.5m、根株の周囲6.5mで、根元から大小合わせて25本の幹が出ていますが、この様に1本の株から多くの幹が出るのは大変珍しく、その内で中央の最も大きな幹は目通り(目の高さでの木の直径)が1.5mもあり、雄株と推定されています。
 淨土宗「霊巌院(れいがんいん)」

 「淨教寺」から三条通りを西へ向かうと、すぐ北へ入る辻があり、その突き当たりが淨土宗、永亀山 叡(しょうえい)寺と号する「霊巌院」です。本尊は、阿弥陀如来坐像で、寺伝によると、1593年(文禄2年)霊巌雄誉が下総国の竜沢大巌寺(だいがんじ、千葉市)から南都に移住し、彼を追って弟子達も来たので、一寺を建立したそうです。境内には「庚申堂」や、露坐の「地蔵菩薩」などもあり、なお、「阿弥陀三尊石仏」には、永享二年(1430年)の銘があります。また、「奈良坊目拙解」の著者として知られる村井古道の墓碑もあります。そして、境内墓地の塀越しに水の無い「開化天皇陵」の空濠が眺められます。

 開化(かいか)天皇陵

 「浄教寺」から更に「三条通り」を西へ、JR奈良駅の方へ向かって行くと、右(北)側の奥まった所に開化天皇陵に治定されている「春日率川坂上陵(かすがノいさがわノさかのへノみささぎ)」があります。全長約100mの前方後円墳で、古墳の壕を見るなら登大路に面した浄土宗、隆魔山「念佛寺(山の寺)」の境内から確認できます。なお、第九代開化天皇は、古事記によると、第八代孝元天皇の第三皇子で、名を若倭根子日子大毘々命(わかやまとねこひこおほびびノみこと)と言い、春日の伊那河(いざがは、率川、現在の奈良市内)の宮に坐(いま)して、天(あめ)の下を治め、妻の1人は、庶母(ままはは)でした。
 JR西日本「旧奈良駅舎」

 JR奈良駅は、明治23年大阪鉄道のターミナルとして開業し、今の旧駅舎は昭和8年4月着工、翌9年11月宇治の「平等院鳳凰堂」を真似て、方形(ほうぎょう)屋根に相輪がそびえる主屋部が完成し、元の設計にあった両翼部は、右翼部が昭和33年造築されたが左翼部は着工されないまま現在に至っています。鉄筋コンクリート2階建て、屋根の小屋組は木造で、幅45m、奥行き25m、高さ20m、延べ床面積約1255平方m、土色のタイルを張った外壁や鉄枠のガラス窓が洋風で、瓦屋根や相輪の他に、軒先の風鐸(ふうたく)や折上げ格(ごう)天井、宝相華(ほうそうげ)のレリーフに和風の意匠が施されています。
 「三條池跡」の「三條会館」と「お堂」

 JR「奈良駅」前の南側(三条通りの1つ南)から東へ入って行くと、直ぐ右側に「三條会館」があり、前にお堂が建っていて、堂内に市指定文化財「石造浮彫弥勒菩薩像」1面と、「石造浮彫仏涅槃像」1面を安置しています。「弥勒菩薩像」は厚肉彫りした立像の左右に蓮華瓶を配し、元亨二年(1322年)石工末次の銘があり、「涅槃(ねはん)像」は釈迦入滅を悲しむ如来羅漢・獣などを如実に表し、鎌倉時代後期の作です。また、この辺りには、江戸時代に三條村の農民によって築造された総面積1町4反1畝14歩の「三條池」がありましたが、近年市街地の整備事業に協賛して、処分され、埋め立てられてしまいました。




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