佐保、佐紀路辺り その9

 不退寺(TEL 0742-22-5278)本堂

 切妻造の南大門から入ると馬酔木が繁って、正面に業平格子の国重文「本堂」が建ち、間口4間、奥行き4間、室町時代の寄棟造です。国重文の本尊「木造聖観音立像」は、業平の自作で、薄化粧をして髪の横に8の字にリボンを結び、本尊を取り巻く、国重文の木造五大明王(不動明王、降三世、軍茶利、大威徳、金剛夜叉)は全部揃っていて、特に金剛夜叉明王が傑出で、なお、境内東側の池を挟んだ高台に鎌倉時代の塔婆(多宝塔、国重文)が建ち、今は平屋ですが、当初は二重で、また、毎年5月28日業平忌に本堂で秘宝「在原業平像」を公開し、当寺は、一名を業平寺と呼び、境内に付近の古墳から出た船型石棺があります。
 南都十五太寺の1つ「業平寺」の「多宝塔」

 「多宝塔」の前に歌碑も在りますが、彼は六歌仙、三十六歌仙の1人、伊勢物語の主人公で、古今集巻5−294から取られて、百人一首にある業平の歌は、

 ちはやぶる 神代もきかず龍田川 から紅に
  水くくるとは 小倉百人一首第17番目

荒ぶる神のおられた神代にも聞かなかった、龍田川で紅葉の下を水が流れるとは。この歌は、第56代清和天皇の皇后・二条后(にじょうノきさき)が皇太子を生んで東宮の御息所と呼ばれていた頃、竜田川の屏風絵が有って、業平がその絵を皮肉って詠んだ歌です。
 日本最初の公開図書館「芸亭伝承地」

 「不退寺」からまた「歴史の道」を外れて南へ向い、バス停「不退寺口」に出て右折し、国道24の陸橋を渡って北に下りると、「一条高校」の東側に「芸亭(うんてい)伝承地」があります。なお、「芸」は書物の防虫に用いる「芸香草」の事で、「芸亭」は今から千二百余年前、奈良朝の大納言・石上宅嗣(いそノかみノやかつぐ)が自宅を提供して阿?寺(あしゅくじ)とし、その一隅に設けた日本最初の公開図書館で、多くの儒書等を備え、好学の士に自由に閲覧させたと「続日本紀」に書かれています。また、石上宅嗣は大学頭(だいがくノかみ)を務めた吉備真備と共に仏教優位論を主張して、後の空海にも影響を与えました。
 「春日社(かすがしゃ)」

 また、国道24号線(奈良街道)をちょっと交差点まで戻って、右へ曲がり「市立一条高校」の前を通り西へ向かうと、バス停「法華寺」の所に鳥居が建ち、西へ長くて細い参道を奧へ進むと、「春日社」です。元は、北隣の「海龍王寺」の鎮守で、天児屋根命を祀っていましたが、1750年頃(寛延年間)白山比当ス(はくさんひめのみこと)と伊弉冉(いざなぎ)命の2座を合祀し、土地の氏神とされています。本殿は三間社流造で、上記三神を祀っています。境内北側に座小屋があり、これと相対して南側に社務所があり、毎年10月10日に行われる「祭礼」で、座の人々が座小屋に集まり、祭礼を寿ぎ、豊穣に感謝されます。




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