「大和三山」と「長寿道」の辺り  その10

 浄土真宗「称念寺(今井御坊)の本堂」

 山門を入ると境内には、「本堂」「庫裏」「客殿」「別客殿(明治10年2月に、明治天皇の行在所)」「鐘楼」「鼓楼」等がありますが、「本堂」は、桁行20m、梁間21m、入母屋造、本瓦葺、向拝付東向の大規模な建物で、真宗寺院の独特な平面を有して、部分的に後補の改造がみられますけど、当初の形態をよくとどめ、17世紀初期、江戸時代初期を降らない建物です。また、その他の堂宇は、江戸時代中期頃に建立されたものです。本尊の「木像阿弥陀如来立像」は、玉眼入りで、室町時代前期の作で、その他に親鸞(しんらん)上人絵伝、本願寺や織田信長、明智光秀ら戦国時代武将関係文書等を多く所蔵されています。
 重文「豊田(とよだ)家住宅」

 「称念寺」から出て、更に西へ行くと、筋向の角に「豊田家住宅」があります。かっては、材木商「西ノ木屋」の屋号をもつ牧村清右門の所有で、幕末に大名貸しを行い福井藩の蔵元等をつとめた豪商でしたが、江戸時代末期に分家移住して、「紙八」の屋号をもつ「豊田家」の所有です。建物は、多くの鬼瓦の銘から建設年代が明らかで、1662(寛文2年)に建設され、内部は、今西家同様に6間取りの部屋で、東南隅に「しもみせ」を取り、接客用の「中の間」と主人の寝室である「なんど」の境は、一段高く敷居を入れた帳台構もあり、「仏間」には仏壇を置く棚が南向きにあり、木材商らしく太い柱が各所に使われています。
 重文「今西(いまにし)家住宅」

 「豊田家住宅」から更に西へ向うと、今井町の西の端で、環濠を廻って北へ出ると「今西家住宅」です。惣年寄の筆頭を勤めた家系で、元々は十市氏の一族、川井権兵衛清長が1566年(永禄9年)当地に移住して、三代目より今西姓を名乗り、複雑な八棟(やつむね)造の屋根を持つ建物は、棟札、鬼瓦銘により、1650年(慶安3年)に建てられ、内部は、東側に二列六間取りの部屋を取り、西側は広い土間で、西北隅に「しもみせ」を取るいわゆる今井町民家の六間取り平面形式、広い土間と部屋境に段上の「広敷」があり、土間を白州に見立てて簡単な裁きが行われ、入口上部に二階屋の「いぶし牢」もある豪壮な建物です。




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