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天岩戸(あまノいわと)神社
「香久山」の頂上から下りて、麓の道を南へ辿ると「香久山」の南に「天岩戸神社」が鎮座しています。神代の昔、天照大御神が幽居した天石窟と伝えられる岩穴を拝し、神殿はありません。「延喜式」神名帳にある十市(といち)郡「坂門(さかと)神社」で、神戸郷香山の南麓に在って、俗に「亀の岩戸」と云われたのが転訛して、「天岩戸」になり、祭神は亀津比売(かめつひめ)命。なお、玉垣内に真竹が自生し、これを往古より七本竹(女笹竹)と云い、毎年七本ずつ生え変わると伝えられ、「西国三十三所名所図会」に載っていて、また、当地の小字「舞台」に天宇受売命が手草にして舞った「湯笹」と云う女竹があります。
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日向寺(TEL 0744-23-1387)
「天岩戸神社」から南へ出て、直ぐ左(東)へ曲がると、民家の様な庵が、聖徳太子十ケ寺の1つ、太子御遺跡十三番霊場、天照山「日向寺(にっこうじ)」です。「聖徳太子伝暦」の太子建立諸寺九院、また、「聖徳太子伝古今目録抄」の四十六箇寺院の中にそれぞれ記載され、寺地から飛鳥、白鳳時代の古瓦が出土し、なお、昔は本堂の前に「五代陽の松」があり、東の枝に鶴が二羽止まった年は、五穀豊年万作と云われていたが、しかし、1772年3月本居宣長が訪ねた時には、既に枯れていて、今は何もなく、また、当寺は現在、浄土宗で、本尊は高さ約80cm、光背の美しい「木造阿弥陀如来立像」を安置しておられます。
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浄土宗「法然寺(ほうねんじ)」
「日向寺」から西へ300mほど行くと、法然上人二十五霊場第十番、天香久山少林院「法然寺」があります。1191年(建久2年)の春、法然上人が高野山へ参詣の帰途、明日香村の「橘寺」へ立ち寄って、当地に足を留め、村人の懇望を入れ、念仏往生の教えを説いて教化をされた道場です。その後、1528年(大永8年)の夏、知恩院第二十六世保誉上人(日野大納言豊光卿の息子)が堂宇を再興して、寺名を「法然寺」と改称され、本尊は「浮足の如来」と称される「阿弥陀如来」で、蓮台と浮かした足の間に紙一枚の隙間があります。他に天保15年9月冷泉為恭筆の銘がある「元祖大師勧修御伝之絵伝六幅」もあります。
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