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「三十八柱(さんじゅうやはしら)神社」
「曽我(そが)川」の右岸、川西町保田(ほた)に鎮座する「六県神社」から南へ行っくと、三宅町小柳(おやなぎ)で、集落の北西端、曽我川と飛鳥川に夾まれた地に水神を祀る「三十八柱神社」が鎮座しています。祭神は、水波能売命(みつはのめノみこと)。本殿は、伊勢神宮の別宮伊雑宮(いぞう、三重県磯部郡)宮の末社「佐美長(さみなが)神社」の旧本殿を明治44年に移築したものです。なお、境内に宮寺の「真福寺薬師堂」があったが、今は南の真宗仏光寺派法教山「光明寺」に移され、真福寺涅槃(ねはん)会講に寄進された涅槃図は、永正十一年(1514年)の裏書があり、奈良国立博物館に寄託されています。 |
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「瓢箪山(ひょうたんやま)古墳」
旧村社「三十八柱神社」から東へ行って、飛鳥川の「藤の木橋」を渡り、飛鳥川の支流「新川」沿いに東へ行くと、右(南)側の田圃の中に「瓢箪山古墳」があります。小さいながらも周濠の跡が認められ、なお形態がよく遺存された「前方後円墳」で、墳丘上に祠(ほこら)があります。また、道を更に東へ行くと、四辻の南西角が「高山古墳」で、三宅町小柳から高畑へ至る中間にある「前方後円墳」です。古墳の北辺を道路工事で少し削られ、その際に円筒0埴輪(えんとうはにわ)の破片が多数出土したので、円筒埴輪列を巡らしていた様です。更に東へ行くと、「太子道」へ至るけど、左へ曲がって北へ行くと又「川西町」です。 |
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「茄子(なす)塚」古墳
「高山古墳」から北へ向かって又「川西町」へ入ると、広々とした墓地の中を通り、前(北)方の左側に仏性山「安養院」の屋根が見えますが、お寺の手前で右側の田圃の中に「茄子塚」があります。現在畑地になっているので、古墳と気付かないけど、「茄子塚」と呼ばれている古墳で、円墳か前方後円墳かも分からないが、出土した土器から5世紀末から6世紀にかけて造築された古墳と推定されています。「安養寺」の北隣が浄土宗仏性山蓮華院「極楽寺」で、山門を入ると、境内の北側には「水子地蔵」が祀られています。更に「極楽寺」の前を通って北に向かい、バス通りへ出ないで左へ大きく曲がって、ちょっと小さな小山の裾(すそ)を巻くようにして草むらの小道を更に西へ行くと、左の田圃の中に「寺の前古墳」があります。 |