水辺の「川西町」、「三宅町」から桃太郎の古里「田原本町」 辺り  その15
 延喜式内社「姫皇子命神社」

 「多神社」から田圃の畦道を東へ行くと、延喜式内社「姫皇子命(ひめみこノみこと)神社」が鎮座しています。「多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ、多神社)」の摂社で旧村社。祭神は、神武天皇の皇子・姫皇子命(ひめみこノみこと)です。なお、神武天皇には、手研耳命(たぎしみみノみこと)、神八井耳命(かむやいみみノみこと)、神沼河耳命(かむぬなかわみみノみこと)の三皇子と、姫皇子命がいて、「延喜式」神名帳の十市(といち)郡の大(おお)社四皇子神の1つ「姫皇子命神社」に比定し、「大和志」で鎮守と称し、「五郡神社記」で本社二座と四皇子を総称して意富六所神と云います。
 秦楽寺(TEL 0744-32-2779)

 「姫皇子命神社」から東へ出て、北へ向い、西側の「養護学校」沿いに更に北へ向うと、近鉄橿原線笠縫(かさぬい)駅の西側に「浄土寺」があり、その北に「春日神社」が鎮座し、北隣が真言律宗高日山浄土院「秦楽寺(じんらくじ)」です。聖徳太子が百済王から献上された千手観音像、西天竺の仏師毘首羯磨(びしゅかつま)作を秦河勝(はたノかわかつ)に与え、それを安置して、647年(大化3年)に創建され、807年(大同2年)唐から帰国した空海が、ここで「三教指帰」を著し、本尊は「千手観音立像」で平安時代の作、脇侍は「聖徳太子像」「秦河勝像」です。付近一帯が田原本町秦庄で、昔秦氏の居住地でした。
 秦楽寺の「阿字の池」

 「秦楽寺」の東側にある「表門」は、中国風造りの珍しい土蔵門で、境内には、大和三楽の三池の1つ、梵字の「阿」を形どった「阿字の池」があり、空海が造ったと云われていますが、寺伝によると、797年(延暦16年)空海が「三教指帰」を執筆していたら蛙の鳴声が喧(けたたま)しかったので、蛙をしかると、ピタリと鳴き止み、それ以後「阿字の池」で蛙の声を聞かないそうです。なお、「秦楽寺」の「楽」は神楽(かぐら)や猿楽などの「楽」で、「秦楽寺」とは「秦の楽人の寺」の意味です。また、大和猿楽四座の由来を記した「風姿花伝」によると、昔、門前に秦河勝の末裔金春(こんぱる)家の屋敷がありました。


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