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津島(つしま)神社(TEL 07443-2-3914)
近鉄橿原線「田原本駅」を出て東へ行くと、直ぐに「津島神社」が鎮座しています。祭神は素盞鳴命(すさのおノみこと)、櫛名田姫命(くしなだひめノみこと)で、神仏分離以前には「祇園社」と云われ、江戸時代には領主平野家の尊崇を集め、平野家の本貫地の尾張国津島にあった「津島社」の祭神が牛頭天王(ごずてんのう、素盞鳴命)だったので、明治2年社名を「津島神社」と改め、なお、現存していないが、明治中期に書写された天治2年(1125年)9月15日の棟札に建立の文字があったので、創建年代の早い事が判ります。また、毎年7月第3金曜日〜3日間「祇園祭」で、田原本町の各町内に立山が設けられます。 |
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融通念仏宗「楽田寺」
「津島神社」から真っ直ぐ東へ行くと直ぐに、雨宝山龍王院「楽田寺」に突き当たります。「津島神社」の神宮寺で、寺伝では、草創が天平元年(729年)とか。本尊「木造十一面観世音菩薩」は「長谷寺」の本尊の御衣木(ごえぎ)を以て作ったと云われ、弘法大師もここに来て真言の道場とし、中世「興福寺」の末寺で「田原本寺」と称し、1322年(元亨2年)僧の実祐が雨乞いの祈祷をしたら効き目があったので号を「雨宝山」とし、この時に描かれた絹本著色善如竜王が今もあります。なお、最も勢力のあった室町中期には二十数坊を数え、1685年(貞亨2年)融通念仏宗に改め、本尊「阿弥陀如来」を安置しました。 |
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浄土真宗本願寺派「浄照寺」
「楽田寺」からちょっと西へ戻って、北へ向かうと松慶山「浄照寺」があります。当地は賤ケ岳の七本槍で功名を馳せた平野権平長泰が田原本他六カ村の地頭になったけど、彼は終生江戸詰めで、富田の真宗寺院「教行寺」に寺内町の経営を委託しました。そして後田原本に陣屋を構築した二代目長勝の時、彼と「教行寺」の間で軋轢を生じ、「教行寺」が箸尾(はしお、広陵町)に退いて、長勝が跡地を二分し一宇を建立、西本願寺第十三世良如門主に寄進して「円成寺(えんじょうじ)」と称し、後に、1749年(寛延2年)「浄照寺」に改称、西本願寺別院・大和五ヶ所御坊の1つ田原本御坊として、県下に72カ寺の末寺あり。 |