日本一広い村「十津川」  その2

 奧吉野地下発電所の「入口」

 「旭エレハウス」から更に東奧へ向かうと、「釈迦ケ岳(標高1799.6m)」への登山口があって、秋のハイキングシーズンには賑わいますが、左にある「迫(せ)大橋」を渡ると、「地下発電所」と「瀬戸ダム」です。ただし、これらの設備の見学は、許可がいります。1週間前迄に奈良支店広報(TEL 0742-25-1201)か、吉野電力所事務課(TEL 07475-2-1155)へ申し込んで許可を受けて入ると、黄泉の国へ下りて行く様な狭くて長いトンネルを下った地底に「奧吉野発電所」があって、昭和53年に運転を開始した出力20万1千キロワットの発電機が6台あります。また橋の所から右へ約500m登ると「瀬戸ダム」です。
 釈迦ケ岳(しゃかがだけ)の山頂

 旭川の「迫大橋」を渡らずに登山道を登って行くと「釈迦ケ岳」への道です。「釈迦ケ岳」は、大峰山系の「山上ケ岳(標高1719m)」「弥山(標高1895m)」「八剣山(標高1915m)」「仏生ケ岳(標高1801m)」から続く雄峰の1つで、続日本百名山に数えられて、十津川村から登ると意外と楽な登山道です。ブナ林と笹原の中を歩くと、鹿など野生の鳥獣ともしばしば出合うことがあり、山頂に登ると「吉野郡名山図誌」に「駿河の富士山海中に見ゆ」と書かれたごとく、大峰山系が一望され、山頂に優美な姿を湛える銅製の「釈迦如来像」が立ち、大正の強力「オニ雅」、「岡田雅行」が1人で担ぎ上げました。
 「黒木御所(くろきノごしょ)跡」

 また、国道168号線まで戻って、十津川沿いに南下し、バス停「小栗栖」を過ぎてから国道から外れて右へ曲がり、十津川を渡って左へ上がると、一際松柏(松や栢の常磐木)を繁らせて、「黒木御所跡」伝承地があります。1331年(元弘元年)9月28日父の後醍醐天皇が笠置において「元弘の変」で鎌倉幕府方に破れ、大塔宮護良親王(おおとうノみやもりながしんのう)が10月赤坂城を脱出して、高野山を経て十津川に逃れ、土地の豪族竹原八郎や、戸野兵衛らの支持を受けここに仮宮殿を建てて住まわれ、政権回復の策をめぐらした所ですが、また、後に天誅組が徳川幕府を迎えて決戦を試みようとした所でもあります。




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