日本一広い村「十津川」  その10

 玉置神社「社務所」及び「台所」一棟

 昭和63年1月13日に重要文化財の指定をうけた玉置神社の「社務所」は、懸造で、桁行22m、梁間15m、一重、入母屋造、西面軒唐破風付、東面及び西面突出部附属、地階付、銅板葺で、また、「台所」は、桁行9m、梁間8.9m、一重、東面入母屋造、西面が「社務所」に接続し、銅板葺です。なお、山間の傾斜地に建てられた為に懸造とし、一階に参籠所をとり、二階には、整備された書院等を含む「社務所」及び「台所」をとっており、内部造作も「トコ」や、違い棚、透欄間等に洗練された物が見られ、部屋の仕切りは1枚戸で60数枚あり、狩野派の狩野法橋・橘保春の筆による華麗な華鳥図などが描かれています。
 玉置神社境内社「大日堂」

 「玉置神社」の「社務所」及び「台所」は、本殿に向かって右手に建っていますが、左手奧に「大日堂」が建っています。今を去ること1千参百有余年の昔、舒明天皇6年11月大和国茅原(ちはら、御所市)の里、「吉祥寺」の高鴨家に生まれた「役の小角」、幼少より英邁利発で神童の誉れ高く、後に第119代光格天皇より「神変大菩薩」の号を賜り、世界平和、子孫繁栄、三世救済の大願をもって大峯に七十五の靡(なびき、行場)を開き、その時「如来堂」を建立して、霊を感得し「如意宝珠」を埋蔵しました。また、後に玉置山で諸行をされた弘法大師も役行者の徳を慕い、自ら「胎蔵界大日如来尊像」を刻んで勧請され、以来(次項に続く)
 玉置山「展望台」

 本尊として、1千有余年の長きに渡り、広く衆生の信仰を集めて親しまれ、輪廻したけれど、熊野信仰の衰微の時期に惜しくも本尊はもとより、「如来堂」も共に消滅して、今は「大日堂」だけが建っています。また、「玉置神社」から下って、三叉路を左へ行くと「玉置山展望台」があります。北に「釈迦岳」山頂を望み、晴れた日には、大峯開山以来の強力と云われた岡田雅行(オニ雅)が1人で担ぎ上げた「釈迦像」が見えます。なお、「展望台」から北へ辿る道は、山伏姿の行者が跋渉し、呪文を唱えながら熊野から入って大峯山の根本中堂へ峯入りする「奧駈道(林道京野谷線)」で、玉置山は熊野から数えて十番目の靡です。




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