高原の里「都祁」  その1

 奈良市都祁下深川「春日神社」

 山添村を東西に走る県道80号奈良名張線のバス停「北野」の西隣のバス停が「神野山登山口」で、そこから西へ少し行き、県道80号線から左に折れて南へ行くと、奈良市都祁(つげ)に入り、トンネルを越して右(西)へ折れ、少し行くと右(北)側に朱の鳥居が見え、参道の奧に「春日神社」が鎮座します。南北朝時代の1586年(至徳3年)に奈良興福寺大乗院の荘園であった下深川庄の下司を勤めた「深川氏」が春日社を勧請した神社で、本殿の前に建つ、入母屋草葺屋根の市文化「能舞台」は、桁行17尺、梁行15尺、柱7寸角、床高2尺4寸、床面積7坪余りですが、江戸時代の末期まで神事能楽が奉納されていました。
 題目立の「八柱(やはしら)神社」

 「春日神社」からちょっと西へ行って、バス停「下深川」から深川に沿ってバス道路を南へ行くと、次のバス停「上深川」の少し東に「八柱神社」が鎮座しています。八柱とは、高御産巣日神、神産巣日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神のことで、これら八柱を祀る神社です。毎年「秋祭り」の宵宮にあたる10月12日重要無形民俗文化財「題目立(だいもくたて)」が奉納されます。上深川では、氏神講、おとな講と呼ばれる座があり、各家の長男は17歳になると座入りし、古い謡い語りによつて題目立を演じますが、曲目として「厳島」、「大仏供養」、「石槁山」の3曲が伝えられています。
 十九夜講(じゅうくやこう)石仏

 「八柱神社」からバスの通りを西へ向うと、奈良市都祁荻(おおぎ)で、布目川にかかる「中ノ橋」の南東、墓地へ上がる山際の入り口に「十九夜講石仏」があります。十九夜講は奈良県東部、大和高原の村々で毎月19日前後の夜に行われた女性の念仏講で、垣内(かいと、地域の一区画集団)の嫁が当番の宿に集って、如意輪観音の絵像を掲げ、十九夜和讃(わさん)を唱え、安産や子供の成長、更に女人の救済を祈り、その後で女性同士が会食をしながら日頃の不満や悩みを披露される集会で、如意輪観音への信仰と同時に、各家庭の主婦が忙しい毎日の家事や仕事の合間に息抜きをされる場ですが、奈良でも他では見られません。
 金龍寺(TEL 0743-84-0379)

 「十九夜講石仏」から布目川の上流へ向い、バス停「上荻」で右へ折れて、国道369号線へ出る手前で右(北)の山道を上がると、華厳宗高勝山「金龍寺」です。1560年代(永禄年間)武将で絵画や彫刻に秀でていた山田道安が建立し、彼はまた、1567年(永禄10年)10月兵火で焼失した東大寺大仏を補修しました。寺宝として飛鳥後期または白鳳時代、樟の一木造で国重文の「木造菩薩立像」があり、「聖観音像」と云われているが、現在は奈良国立博物館に寄託され、また、境内に、1614年(慶長19年)近郷八ケ村の庄屋が処刑された義民之碑があります。




奈良観光表紙に戻る  周辺地図を開く  前のページに戻る   次のページに進む