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景勝地「夢絃渓(むげんきょう)」
東(写真の手前)から「伊賀川」が流れ、南(写真の左)から「名張川」が流れ、静かに合流して「木津川」となる所が「夢絃渓」で、平安の昔、大和の國司絃之丞と名張郡司の娘・夢姫が熱烈な恋愛に落ちましたが、親に猛反対され、許されない恋と知った二人が永遠の愛を誓ってこの淵に身を投げたと云う美しくも悲しい言い伝えが残っています。二人の名前に因んで名付けられた「夢絃渓」は、静寂な景勝のこの地の地名にもなって、西(写真の奥)へ流れる「木津川」のブルーと共に両岸の山々のグリーンのコントラストがひときわ映えるこの辺りは、昔から景勝地としてよく知られ、岸辺に現在休業中の「鶴乃家」があります。
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「弓ヶ淵」の伝説
「夢絃渓」からまた東海自然歩道(府道82号上野南山城線)まで戻って、更に車道を「木津川」沿いに下流へ下ると、大河原発電所の取水堰堤がある辺りが「弓ヶ淵」です。今は堰堤(えんてい)が出来て昔と景観が変わっていますが、太古からの大きな深淵で、1682年(天和2年)、菊岡如幻によって書かれた「茅栗(しばくり)草子」によると、「昔、この地に大和守菅道忌という人がいて、名張の大領の女を拉致して来て、秘かに隠して住まわせ、やがて子をもうけたら、名張の大領に居所がばれて、徒党を討手に差し向けられ、道忌は戦いに敗れ、弓を引っ提げて深淵に飛び込み自害し、女も続いて身を投げて死んだとか」 |
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急流の「明神の滝」
「弓ヶ淵」から更に東海自然歩道(府道82号上野南山城線)を「木津川」沿いに西へ下ると、直ぐに、老松やさつきの生えた巨岩が「木津川」対岸の川原にあり、地元の人はその巨岩を「白滝明神」と呼んで、この地域の流れを「明神の滝」と云っていますが、滝と云っても、ただ川幅が狭くなって急流をなしているだけです。なお、ここら辺りは、古く奈良朝の昔より木材供給の地で、上流から下流の笠置浜まで筏流しが行われていましたが、「明神の滝」は、最大の難所であり、南都の高僧が何度も笠置寺に籠もって、祈祷により水運を開いたと云う古文書も残っており、また、この付近の河原は、薪や炭の集荷地でもありました。 |