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府道82号線沿いの「雄滝」
なお、「夢ヶ淵」の辺りは、時代劇でもおなじみの柳生十兵衛が最期を迎えた所で、死因については諸説あり、酒豪がたたって血を吐き倒れたとか、女忍者による毒殺説など色々云われ、十兵衛44歳の春のことでした。また、木津川の瀬「明神の滝」は、総落差が約10mほどあり、流れが2つに分れて、それぞれを「雄滝」「雌滝」と云われていますが、「明神の滝」を過ぎて、更に西へ東海自然歩道(府道82合上野南山城線)を下ると、昭和60年11月架設の「雄滝橋」に至り、山際に「明神の滝」の「雄滝」と同名ですが別の「雄滝」があります。落差20mほどで、大きな岩を伝って流れ落ちているけど、上部はコンクリートの堰堤です。また、「雄滝橋」から東海自然歩道を南山城村大河原の方へ向かうと、途中に「雌滝橋」があり、そこでも山際に「雌滝」があります。「雌滝」も「雄滝」と同様、堰堤のコンクリートと岩との複合体で、落差20mほどの上部に自然な流れが少し見え、更に近くの木津川の対岸には「とのさま石」もあり。
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大正ロマンが薫る「大河原発電所」
木津川沿いに東海自然歩道(府道82号上野南山城線)を更に西へ下ると、伊賀川と名張川が合流し木津川になってから初めての橋、「大河原大橋」に至り、橋を渡った対岸に「大河原発電所」があります。大正時代の煉瓦(レンガ)造として建築学的にも珍重されている「大河原発電所」は、大正8年12月京都電灯株式会社により建設されました。それ以降、関西配電株式会社に引き継がれ、昭和26年には電力再編成のため関西電力株式会社に引き継がれました。現在でも山城、奈良方面に電気を送り続けています。また、発電所本館は、昭和57年に社団法人「日本建築学会」によって、全国の建物約二千棟の中に選ばれました。 |
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柳生宗冬が寄進の天満宮「石鳥居」
「大河原大橋」を渡ると、国道163号線に出て、南山城村の中心地ですが、橋を渡らないで、そのまま真っ直ぐ西へ進むと、南山城村南大河原の集落の中に「天満宮社(恋志谷神社)」が鎮座し、道の脇に天満宮の「石鳥居」が建っています。道を南西へ辿ると、山越で直ぐ柳生へ至り、この地は、奈良市の柳生から見て、北東に接し、その昔、この辺りは、柳生宗冬が父の宗矩(むねのり)や、二人の兄(長兄の十兵衛、次兄の友矩)と共に愛した所で、この土地の神社(天満宮社、恋志谷社を1647年合社)の改築に伴い鳥居を建立寄進し、柱の側面に「正保4年奉建立、天神御宝前石鳥居、柳生主膳正宗冬敬白」の銘があります。
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