旧柳生街道「滝坂の道」  その7

 県道184号「須山西狭川線」

 誓多林の集落からやや広い舗装の県道184号線の須山西挟川線を通って、東海自然歩道を北東へ進み、そのまま進むとバス停「大慈仙」へ向かう道ですが、途中の三叉路のような所で舗装道路から外れて、右の山道へ入って行くと、足取りも軽やか旧柳生街道で、ちょっと樹林が途切れた辺り右側に茶畑があります。奈良市東部と山辺(やまべ)郡の山添(やまぞえ)、都祁(つげ)の両村の山間部は、添上(そえがみ)郡月ヶ瀬村も含めて「大和高原三村」と呼ばれ、奈良県内でも有数の茶所で、標高200〜500m、年平均気温摂氏13〜15度、降水量1500ミリ、山間冷地で日照時間も短く良質の「大和茶」が摘まれます。
 大和高原の茶畑

 「大和茶」は量より質の茶、「一番茶(初茶)」は 1本の新しい枝に4〜5枚の葉が出た「一芯(しん) 五葉」を5月15日〜6月5日頃までに摘み採って、 その直ぐ後、残り新芽と古葉の「梅雨番茶」を摘み、 「二番茶」は再び伸びた新芽を、7月12、13日〜 25日頃までに摘み取られます。この後、茶の新年度 8月に入って土作りが始まり、秋が過ぎ、冬を越した 3月頃に茶の木の連なりを蒲鉾(かまぼこ)形に丸く 整えるため「円ならし」の「春番茶」が刈り込まれ、 枝や、葉が混じるこれも「番茶」として売られます。 なお、茶摘みは、2人で1台の摘採機を向かい合って 持ち、蒲鉾形の畝の上を往復しながら刈り取ります。
 地蔵の十福(じっぷく)

 「茶畑」を過ぎ、平坦で両側にそれほど大きくない桧がびっしり繁る東海自然歩道を歩くと、奈良・柳生方面「バスのりば」この先150米と矢印が書かれた高さ2mの看板が道脇に建っています。そこを過ぎて右に墓地が見える所に「六地蔵」が赤い前垂れを掛けて立ち、左にも地蔵が1人ぽつりと立っていますが、地蔵と閻魔とは一(いつ)で、地蔵は慈悲を、閻魔は忿怒(ふんぬ)をあらわし、共に阿弥陀仏の分身とも云われています。また、延命地蔵経では、地蔵を信仰すると、女人泰産、身根具足、衆病疾除、寿命長遠、聡明智慧、財宝盈益(えいえき)、衆人愛敬、穀物成熟、神明加護、証大菩提の10の福徳が授かります。
 国重文「石造五輪塔」

 また、柳生街道(東海自然歩道)を挟んで、大きなお地蔵さんの反対側、右に並んだ小さな「六地蔵」の横を右に折れて、東へちょっと入ると、奈良市忍辱山(にんにくせん)の共同墓地です。坂を上った高台の中央に高さ2.38m、堂々とした「石造五輪塔」が建っています。五輪塔は写真の様な形の石が置かれ、上から「空輪」「風輪」「火輪」「水輪」「地輪」で、球の「水輪」の下、方形の「地輪」の裏側に、ちょっと読み辛いけど、鎌倉時代「元亨元年(1321年)」の刻銘があります。また、元の柳生街道へ戻り、更に北へ向かうと、国道369号線のバス停「円成寺口」が直ぐで、そこから右(東)へ行くと、円成寺です。
 旧村社「八坂神社」の国重文「本殿」

 なお、国道369号線を左(西)へ行くと、バス停「円成寺口」の次が、峠を1つ越してバス停「大慈仙(だいじせん)」、そこから南へ500m行き、奈良市消防団大柳生分団大慈仙町ポンプ格納庫を過ぎて、左(東)へ折れると「八坂神社」が鎮座しています。牛頭(ごず)天王社とも云われ、祭神に素盞鳴(すさのお)命を祀り、本殿は春日若宮の社殿を移したもので国重文、一間社流造、屋根厚板葺、内陣・外陣制のできる過度的な建物で室町時代の建造物と推定されています。なお、「大和志」によると、かつてここらに「大慈仙寺」と云うお寺があったらしく、社前に小字寺ノ垣内(かいと)も残り、寺の鎮守だった様です。




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