旧柳生街道「滝坂の道」  その6

 昔の消防ポンプ「水吐龍」

 東海自然歩道を東へ下り、誓多林の集落に入ると、ゆるやかな下り坂の両側に軒の低い民家が数軒ずつ並んで、右側に切手やハガキを販売していることを示す白地に赤い逓信マーク(〒)の看板が下がった民家があり、赤い箱状のポストも壁に打ち付けられていますが、歩道の左側、斜め向かいの飯倉さんの軒下には、「和州石切峠、飯倉弥平次」と墨書された昔のポンプ「水吐龍」が吊されています。昭和20年代の頃まで火災のたびに活躍し、今も使えるそうですが、これと同じ型の消火ボンプは、葛城古道の名柄の古い民家や当麻町の近鉄南大阪線・当麻寺駅から当麻寺へ向かう参道沿いの古い民家の軒下にも吊り下がっています。
 茶畑の中に立つ「五尺地蔵像」

 東海自然歩道を東へ下り、誓多林の集落を抜けて、ちょっと開けた平地へ出ると、歩道の右側が田圃で、左側に民家が点在していますが、ほとんど緩い傾斜の茶畑で、少し上がったその中に「五尺地蔵」が立っています。なお、仏教の世界では、釈迦入滅から56億7千万年経って、弥勒菩薩が如来になり、娑婆に現れて衆生を救済しますが、それまでは、石仏として最も普遍的な地蔵菩薩が信仰の熱い人を浄土へ導きます。それにしても、石と云う硬くて冷たい素材でありながら、石工の巧みな技により、柔らかくて温かみが感じられる石仏は、茶畑等の野外がよく似合い、造った人の願いが自然の中で息づいている様に感じられます。
 伊勢神宮参拝の為の「石灯籠」

 なお、「五尺地蔵像」に向かって左にある石仏は、立て膝の上に乗せた右手をそっと頬に当てた「如意輪(にょいりん)観音像」ですが、これも愛らしくて、親しみがもてる石仏です。また、向かって右端には、「南無阿弥陀仏」と六字彫られた「六字名号供養塔」も建っています。そして、茶畑を下り、元の東海自然歩道に出て、東へ向かうと直ぐ三叉路で、左へ進むと忍辱山「円成寺」への道ですけど、右へ向かうとディアーパークゴルフクラブを経て、太安万侶の墓がある田原の里への道です。なお、三叉路の所に「太神宮」と彫った江戸時代の「灯籠」が建っています。これは「滝坂ノ道」を通って伊勢神宮へ行く為の道標です。




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