旧柳生街道「滝坂の道」  その12

 南明寺(なんみょうじ)」

 国道369号線のバス停「阪原(さかはら)」から徒歩5分の所に真言宗医王山「南明寺」があります。771年(宝亀2年)の創建で、阪原の北西にあった槇(まき)山千坊の1坊を移し、昔は周囲に多くの堂塔伽藍を有した大寺で、重文の本堂は、鎌倉時代の建立、桁行五間、梁間四間、一重寄棟造、本瓦葺、側面より正面が狭いが、力強く簡素な鎌倉期の様式をよく残し、堂内に平安時代初期の作で、重文の本尊「木造薬師如来坐像」、平安時代後期の作で、重文の「木造釈迦如来坐像」「木造阿弥陀如来坐像」が安置され、拝観は事前に大谷福徳氏(TEL 0742-71-0805)へ予約して、拝観料300円、9:00〜17:00です。
 今も水が湧く「お藤の井戸」

 「南明寺」脇の道「東海自然歩道」を北へ100m行って、右へ曲がり、更に100mほど行くと右手に「お藤の井戸」があります。その昔、大変器量の良い村娘のお藤がこの井戸の側で洗濯をしていると、柳生宗矩(むねのり)が馬に乗って通りかかり、馬上からお藤に「そちは洗濯をしておるが、その盥の中の水が揺れて出来る波の数は、いかほどか」と尋ねました。するとすかさず「はい、七三(なみ)は、二十一波でございます」と、お藤が答えたので、宗矩は、彼女の器量と才気に感心して妻に迎えました。なお、宗矩は1571年(元亀2年)に生まれ、家康の兵法師範、関ヶ原の戦いでは豊臣方後方の錯乱に活躍しました。
 阪原峠(さかはらとうげ、かえりばさ)

 「お藤の井戸」から田圃の続く田園の中をしばらく進み、また椿やツツジが混じる杉木立の山道を登ると「阪原峠」で、昔花嫁が東の柳生から西の大柳生へ嫁入りする時、ここで故郷の名残を惜しみ、ふりかえったので、この峠を地元の人々は「かえりばさ」と呼んでいます。更に、「東海自然歩道」の表示柱が建っている峠の頂上から下ると、後数百mで「柳生の里」へ出る所に大きな花崗岩が道の左手に横たわり、その巨石の南面中央に縦長で長方形の枠取りをして、枠内に蓮華座上に立つ像高110cmの「ほうそう地蔵」が半肉に陽刻され、像脇に花を添えて祀られています。




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