こもりくの泊瀬「初瀬街道」長谷寺の辺り  その9

 旧村社「瀧藏(たきくら)神社」

 「六社権現」からバス道路を「小夫(おおぶ)」へ向い、バス停「滝倉」から右へ約1.8km、九十九(つづら)折りの坂道を登ると、長谷寺奥ノ院「瀧藏神社」が鎮座しています。祭神は、伊弉册尊、伊弉諾尊、速玉尊の3柱ですが、神武天皇の頃、瀧藏山(標高445m)の山頂に明星天子が現れ、付近一帯の地主神になり、後に、733年(天平5年)8月長谷寺開山徳道上人の前に現れて、長谷寺鎮護の神になり、「今昔物語」巻19によると、第74代鳥羽天皇の皇后美福門院が長谷寺詣の時、「滝倉権現」のお力で、懐妊の姫君を若君(第76代近衛天皇)に取り替えてもらい、院がお礼に滝倉神社の拝殿を造営しました。
 「瀧藏神社」の本殿

 なお、古来より真言宗豊山派の総本山「長谷寺」に詣でて、ここ「瀧藏神社」にも参詣しないと、御利益が半減すると云われ、また、当地は古くから伐採を禁じ、面積約41300平米の天然記念物「瀧藏神社の社叢」原始林で、海抜約445mを頂点として、下は330m付近まで北東から南西にかけた急斜面にシイやカシが優占する暖帯性の極相林が広がり、森林の斜面の上方には、ツブラジイ(コジイ)、下方ではシラカシが優占し、その他ウラジロガシ、アラカシ、モチノキ、サカキ等も混生し、また、落葉樹であるクマノミズキ、タカオカエデもわずかではあるが交え、典型的な極相を示し、極めて学術的価値が高い森林です。
 県天然の「権現(ごんげん)桜

 また、「瀧藏権現」は古来より近郷の人々の信仰の中枢として栄え、昔は数多くの堂塔伽藍が威容を誇ったが、今では僅かに拝殿、本殿と、1419年(応永26年)鋳造の梵鐘が残るのみで、長谷寺観音屋敷跡もひっそりとしています。でも昔、権現様が村の長老の夢枕に現れ、「堂の傍に枝垂桜を植えて欲しい」と告げた樹齢約400年の「権現桜」はエドヒガン系のシダレザクラで、樹高4.2m、幹廻り3.01m、社務所前庭の石垣の角から主幹をはみ出し、地上から支えられ、年々再々周(まわり)が変わり、見る人が代れど、毎年花を咲かせます。また、七変化に色が変わる「御衣黄桜」も直ぐ横で5月上旬に咲きます。
 笠山三宝荒神(TEL 07444-8-8312)

 「瀧藏神社」から北へ向かって1キロ下ると、大和川の神縄橋を渡った所が、バス停「小夫口」で、更にバス道路を南へ下ると、次がバス停「剣原」、木造の「上之郷小学校」を下に見ながらバス道路から外れて「県道50号大和高田桜井線」を西へ上がって行くと約2キロで日本第一、日本最古「笠山三荒神」です。三千年の昔より九万八千八百八躰の眷属と倶に笠山の「鷲ケ峯」に祀られて、七袖七谷の峯谷(ぶこく)を神躰山とし、人々は入山する事なく、千古の大昔より大木生い繁る峯より大和平野を見下ろし、初瀬川から天理の布留側に至る笠山の裾、山の辺の道に散在する社寺の三宝を守って来たのが「笠山三宝荒神」です。
 霊場「閼伽井(あかい)不動明王」

 「笠山三宝荒神」の長い参道を南側へ下りた所に、「閼伽井不動明王」が祀られています。819年(弘仁10年)第52代嵯峨天皇の時、空海が金剛峯寺の建立を志し、当地に来て、「笠寺」に奇遇しました。当時「鷲ケ峯山」は人々が入山禁止で、空海は「閼伽井」を行場と定め、この池で身を清めて、21日間の行の後に下山し、金剛峯寺を建立しましたが、火災や疫病に見舞われ思うにまかせず、空海は再度「笠山」に登り、「閼伽井」で水行し、ここへ「不動明王」を祀ると、荒神の分神を授かり、高野山に戻って今度は建立したと云われています。また、この分神を野迫川村の「立里」にも奉祀したのが「立里荒神社」です。
 竹林寺(笠寺)

 「閼伽井不動明王」の所から更に東へ下山すると、律宗山林斗「竹林寺」があります。俗に「笠寺」と称しますが、空海が中国の「竹林寺」で修行し、帰国して、ここで、東大寺の良弁僧正が描いた「板面荒神」を模写して祀り、寺の名を「竹林寺」と名付ました。なお、当寺は、「長谷寺」の「奧之院」とも云われ、733年第45代聖武天皇の時、長谷寺の徳道上人が藤原房前大臣に懇請して、近江国高嶋郡三尾の先、白蓮華谷から切り出した楠の霊木をもって長谷寺の本尊「十一面観世音菩薩贈」を作った時、その木の供木で「薬師如来像」を作り、当寺に安置しました。また、当寺は「大和弓道」発祥地で、弓矢の竹があります。
 心見(こころみ)の池「鏡池」

 「竹林寺」から更に東へ下る途中、北へ上がる道へ入って行くと、左側に「心見の池」があります。この池は、奈良の「猿沢池」に通じており、池に落ちると「猿沢池」に浮かび上がります。聖武天皇の時、東大寺の「大仏殿」を建立する際、土木の役夫百数十人が死傷し、伽藍の建立が不可能になり、良弁僧正が勅を受けて笠山に登り、「心見の池」で身を清め、荒神裏参道鳥居前の葛岡(くずこ)山に登り、七夜の祈誓を行うと、荒神が「七岫七谷の峯に荒神を祀れ」と云ったので、板に荒神を描き「笠寺」に安置して帰ると、日本全土の女人より髪の毛1握りずつの寄進があり、それで大綱を作ると、大仏殿の棟上げが出来ました。




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