南山の辺の道  その5

 景観百選の1つ「井寺池」

 また、「茅原大墓古墳」の南側を廻って、東側へ出て、北へ行って突き当り、右(東)へ向って上ると、上下2つに分かれた「井寺池」に至ります。少し小高い所にあるので、土手の上から夕日の眺めが良く、池の周りに4基の歌碑が建ち、天智天皇の大和三山恋の鞘当歌や、柿本人麿の万葉歌碑巻4−497が建ち、

 いにしへに ありけむ人も我がごとか
 妹に恋ひつつ 寐ねかてずけむ

 また、採拓者に人気のある川端康成書、日本武尊の偲国(くにしのび)歌の歌碑が中央の土手にあります。
 桧原神社(TEL 0744-42-6633)

 「井寺池」から東へ100m行くと、「三輪山」の麓を巡る「山の辺の道」にまた戻り、道に面して神殿も拝殿も無く、三ツ鳥居だけが建っている大神神社の摂社「檜原(ひばら)神社」と末社「豊鍬入姫(とよすきいりひめノ)宮」が鎮座しています。元は皇居に祀っていた天照大神の神霊(八咫鏡)と天叢雲剣を第10代崇神(すじん)天皇が皇女の豊鍬入姫命を初の斎宮(いつきノみや)にして、ここ倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)に遷(うつ)し祀ったけど、後に神霊を伊勢に遷したので「元伊勢」と呼ばれる皇大神宮聖蹟で、三輪山を御神体とし、祭神は天照若御魂神と他二柱、拝殿は1734年(享保19年)倒壊しました。
 玄賓庵(TEL 0744-42-6447)

 平安時代初期に、高徳僧で名医の玄賓(げんぴん)僧都が俗塵を離れて隠棲した所、三輪山麓にひっそりと建つ真言宗の小寺が「玄賓庵」です。元は三輪山中の桧原谷に在ったけど、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で現在地へ移され、小さな本堂に平安時代の作で、重文の不動明王座像や玄賓像を安置し 、「玄賓庵」と木彫りした扁額も有り、世阿弥作の謡曲「三輪」に登場し、玄賓がここで三輪明神の化身である女性と知り合い、三輪の故事神徳を聞き、また、平城天皇が大僧都に任じようとしたら、次の歌を詠み行方知れずです。

 三輪川の清き流れに濯ぎてし衣の袖はさらに汚さず
 龗神神社(TEL 0744-45-0504)

 「玄賓庵」から「山の辺の道」を南へ向うと、「狭井川」までの山手に「岩坪池」があり、更にその奥に「上池」があり、「三輪山」を背にして「上池」の畔に「龗神(りゅうじん)神社」が鎮座しています。拝殿は2つの池の間、土手の上にあり、日本最古の当社は、八大龗王辨財天大神を祀り、八大龍王とは、仏教で法華経説法の座に列したと云う八種の龍王で、難陀(なんだ)、跋(ばつ)難陀、娑迦羅(しゃがら)、和修吉(わしゅきつ)、徳叉迦(とくしゃか)、阿那婆達多(あなばだった)、摩那斯(まなし)、優鉢羅(うはつら)の各龍王を指し、この内特に娑迦羅龍王が海や雨を司り、航海の守護神や雨乞いの本尊です。
 神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑

 「山の辺の道」に面した「岩坪池」を過ぎて、三叉路に差しかかると、山側に「神武天皇」の歌碑があり

 葦原( あしはら)の しけしき小屋に菅畳(すが
 たたみ) いやさや敷きて わが二人寝し

これは、東征の後に橿原の地で即位した神武天皇が、大久米の進言によって、狭井川の辺で見初めた比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と一夜を明かした時の歌で,「古事記」中つ巻にあり、それを記念して、三叉路から西へちょっと行った所に「神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑」が建っています。
 古事記にも載っている「狭井(さい)川」

 また、三叉路まで戻って「山の辺の道」を南へ辿ると、三輪山の麓から西の奈良盆地へ「狭井川」が流れています。古事記では、川の畔に大神神社(おおみわじんじゃ、三輪明神)の祭神、大物主神の子、伊須気余理比売命(いすけよりひめノみこと)の館が在り、神武天皇が彼女を訪ねてこの辺りへ来た時、佐韋(さい、山百合)が咲いていたので「佐韋川」と名付け、また、古来より此の地は「出雲屋敷」と呼ばれ、日本(やまと)の建国にも関わる極めて重要な場所です。

 狭井河よ雲立ちわたり畝火山 木の葉騒ぎぬ
 風吹かむとす    古事記(中つ巻)の歌
 狭井神社(TEL 0744-42-6633)

 小さな「狭井(さい)川」を渡ると、大神神社摂社「狭井坐大神荒魂(さいにますおおみわあらみたま)神社」が鎮座しています。 例祭は毎年4月10日ですけど、古来より毎年4月18日に「鎮花祭」が行われ、春季花の飛散する頃に流行る病を鎮める祭りで、当社を花鎮社(はなしずめノやしろ)とも云い、今から約二千年前、第11代垂仁天皇の時に創祀せられた名社で、主祭神は大神荒魂神、配祀神が大物主神と、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめノみこと、神武天皇の妃、第2代綏靖天皇の母)、勢夜陀多良比売命(せやたたらひめノみこと、大物主神の妻、媛蹈鞴五十鈴姫命の母)、事代主神(大国主の子)です。

 「狭井(さい)神社」の薬水

 「狭井神社」の本殿に向かって左横に井戸が在り、この井戸水を昔から薬水と称し、掬めば諸病が免れと伝えられ、以前は釣瓶で汲んでいましたが、今は釦を押すと滾々(こんこん)と薬水が湧き出して来ます。また、神社の背後に聳える三輪山(標高467m)は大神(おおみわ)神社の神体山で、禁足地ですけど、狭井神社の社務所へ申し出たら、300円納めて境内右横に建つ2本の柱に懸かった注連縄をくぐって山へ登る許可が頂けます。登ると、山頂までに禊ぎをする「三光瀧」が在り、三角点の近くに「お社」も建っていますが、更にその奧に巨石を積み重ねた祭祀遺跡の「磐座(いわくら)」が鎮座し、厳かな雰囲気です。
 三輪山山頂の「奥津磐座」

 古来より神の鎮まる神奈備(三諸山)として仰がれて来た「三輪山」は周囲16km、面積350ha、山麓はなだらかだが、谷間に出て、本体に取りかかると急な登坂になり、谷の一部を除き全山が変成岩の痩せ山で、痩せ地に生え、乾燥に強い赤松林で覆われ、所々に巨石群が磐座(いわくら)を作り、三合目付近の辺津(へつノ)磐座に少彦名命が鎮座し、中腹の中津(なかつノ)磐座に大己貴(おおなむちノ)命が鎮座し、山頂の高峰(こうノみね)に祭神・日向御子(ひむかいノみこ)神を祀る小さな社「高宮(こうノみや)」が鎮座し、更に50m奥の奥津(おくつ)磐座に大物主(おおものぬし)命が鎮座しています。




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