東大寺の見所

 東大寺は、参道のお土産屋さんの屋根を突き破って松の木が1本伸びています。また、「南大門」の仁王さんは、よその仁王さんと反対に並んでいます。すなわち、門に向って左が口を開けた阿形、右が吽形で、この並びは東大寺を真似て高村光雲が造った信濃の善光寺と、浅草の浅草寺の三寺だけです。なお、南大門の柱には、戦国時代、1567年(永禄10年)10月10日松永久秀と三好三人衆の合戦で出来た火縄銃の弾(たま)の跡が無数にあり、一番下の穴に指を突っ込んだら未だ弾丸が1つめり込んで残っています。

 そして、大仏殿へ向かうと右側の「鏡池」に草しか食べない天然記念物のワタカが泳いでいますが、これは昔、後醍醐天皇が京都から吉野へ逃れる途中、立ち寄った内山永久寺で、馬が嘶いて敵に知られるのを恐れ、その首を切ったら、池に落ちて馬魚になったもので、鯉と姿が同じだから、鯉と余り見分けが付きません。

 大仏殿の「中門」には、仁王さんでなく、四天王の二人、多聞天と持国天が共に邪鬼を踏ん付けていますが、向かって右側、手に宝塔を持った多聞天の股の下を良く見ると、女神の地天女の首がにゅっと出ています。立っているのは兜跋(とはつ)多聞天で、京都の東寺、滋賀の石山寺にも小さな兜跋多聞天が安置されているけど、そちらは秘仏で通常は見られません。なお、大仏殿に入る前に8本並んでいる壁の柱の間隔は、中央ほど広く、端へ行くほど少しずつ狭くなっています。また、大仏殿前、向かって右側に座っておられるのが、賓頭盧(びんずる)尊者で、自身の悪い所と同じ所を撫ぜると、良くしてくれますが、台が高くて膝しか撫でられず、興福寺「南円堂」にも堂に向かって右横前におられますから、そちらなら頭も顔も全身を撫でられます。

 なお、「大仏殿(金堂)」の中に入って、大仏さんの下に銅板で造られ蓮を生けた花瓶にとまっている蝶は昆虫(足6本)なのに、何故か知らないけど足が8本もあり、これは間違えて造られた物なのに、英国から来た学者が日本人は昔から突然変異を知っていた、と云って驚いていました。
 
 また、大仏殿を出て、裏に回って大屋根を見ると、小さな煙出しの様な小屋根が乗っていますが、別に煙出しで無いのに、1180年(治承4年)12月28日清盛の息子・平重衡によって大仏殿が焼かれ、二階に避難していた老若男女多数が大仏さんと共に焼かれ、このときは、源頼朝の援助によって源平合戦後すぐに再建されたけど、戦国時代、松永久秀が焼いたときは、大仏さんが少し修理されたのみで、それから100年間大仏さんは鎌倉と同じく、露座のまま、江戸時代の元禄の頃、犬公方の将軍徳川綱吉の母・桂昌院の援助により、やっと再建されました。しかし、そのときは国内に大きな木もなく、財源も余りなかったので、大仏殿は創建当時よりも小さく、横幅が柱4間分減ったにも係わらず、それでもまだ世界一大きな木造建造物です。

 なお、大仏殿から鐘楼の方へ上がって行くとき、坂道の上り口に金ぴかで大きな七重塔の相輪が建っていますが、これは万博記念のとき、横河電気が建てた七重塔の相輪で、昔は東大寺に高さが100 m もある七重塔が東西に建っていましたが、西塔は落雷で焼け、東塔は平重衡が焼いて終いました。

 そして、国宝の「鐘楼」に上ると、NHKの除夜の鐘で知られる日本一大きな鐘(奈良太郎)が吊られているけど、よく見ると、鐘を撞く位置が弁座の所でなく、撞き棒がちょっと下の所を撞く様に設置されています。これは真面に正規の所を撞くと鼓膜が破れて、皆が迷惑する為と云われています。

 3月のお水取りで有名な「二月堂」へ上がるとき、お松明が登場する屋根付回廊の入口の横を見ると、数本のザクロの木が植わっていますが、これは鬼子母神が子供を食べていたのを、お釈迦さまの説教により、同じ味のする柘榴を食べる様になって、植えられたもので、直ぐ前の格子の中に鬼子母神が祀られています。また、夜景が美しい「二月堂」から屋根付でない石段を下りるとき、足元をよく見ると、始めと終わりの三段に菱形、波形、唐草などの線刻が施されています。これは何も飾りでなく、滑って転ばない様にしたもので、上り下りの終わり良ければ全てよし、とする為のものです。

 「三月堂」と「四月堂」の間を抜けて、南の若草山の方へ向かうと、「手向山八幡宮」で、ここの絵馬は、古い形で馬の絵が描かれ、昔は神社に何か願い事をする際に本物の馬を奉納していましたが、高く付くので代わりに馬の形をした立形の板に変わり、これが現在も「手向山八幡宮」で見られる絵馬で、そして、今はあっちこっちの神社で見られる様に簡単な一枚板になりました。

 なお、「手向山八幡宮」へ行かれると、菅原道真の座った腰掛石がありますから、頭の良くなりたい人は、ぜひ腰かけてみると良いと思いますが、官公は頭が大きかったので、女人が座ってヒップが大きくなっても知りません。

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