飛鳥  その3
 国史跡「橘寺(TEL 0744-54-2026)」

 「川原寺跡」からバス道路を挟んで南の高台に長い白壁で囲まれて見えるのが聖徳太子創建七ケ寺の1つで、聖徳太子誕生の御殿を移した「橘寺」です。寺名は、第11代垂仁天皇の命令で、田道間守が常世の国から持って帰った不老不死の実がなる橘(たちばな、蜜柑の元祖)を景行天皇がここに植えたので、「橘寺」と呼んでいますが、正式には天台宗の仏頭山上宮皇院「橘寺」、別名「菩提寺」で、創建当初は、66棟の堂宇が建ち並ぶ尼の大寺院で、東向きに中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ四天王寺式の伽藍配置でしたが、現在では、1864年(元治元年)再興の本堂が東向きに建ち、観音堂、護摩堂などを残すのみです。
 「橘寺(たちばなでら)」の本堂(太子殿)

 写真が「橘寺」の「太子殿」で、元は講堂でした。本尊は、国重文の「木像聖徳太子坐像」で、三十五歳像とも呼ばれ、お顔がふっくらして、堂々たる体格の小像で、室町時代の作です。なお、聖徳太子の像は、各年齢で色々な像がありますが、三十五歳像は、太子が35歳の時、叔母の推古天皇の仰せにより、勝鬘経(しょうまんきょう)を3日間に渡り講ぜられると、大きな蓮の花びらが庭に1mも降り積もり、南の山に千仏頭が光を放ちながら現れ、太子の冠から日月星の光が輝きました。これに因んで、太子35歳時の像は勝鬘経御講讃像とも呼ばれ、更に、国重文「木像日羅(にちら、太子の師)立像」なども安置しています。

 橘寺の「二面石(にめんせき)」

 太子殿の南側に写真の様な高さ1mの「二面石」が在ります。寺伝によると、表と裏で人の心の善悪二業(にごう)一心を表し、一面は醜く、一面は優しい顔をしています。それにしても何ともユーモラスな顔立ちで、これも飛鳥の不思議な石像です。また、「太子殿」の東側に四方形の基壇「蓮華塚(れんげづか)」が在りますが、これは、太子が35歳の時、勝鬘経を御講讃の際に降った蓮華の花弁(はなびら)を埋めた塚で、これはその後に、645年大化改新の時、1畝(ひとせ、36坪=約100平米)の大きさの基準とされたので「畝割(うねわり)塚」とも云い、その他境内には日月星の光を放った「三光石」も在ります。
 聖徳太子の愛馬「黒駒」の銅像

 なお、万葉集巻16−3822にも詠われた橘寺の「本堂」前に聖徳太子の愛馬「黒駒」の銅像があり、今は3代目で、少し青っぽいけど、太平洋戦争で供出された初代の像は、黒かったそうで、甲斐の巨摩郡の産駒、黒駒は、太子を乗せて斑鳩から飛鳥まで約20キロの道を毎日通い、太子こう御に際して、殉死した「黒駒」の塚が、斑鳩町にあります。また、境内の南側に建つ「往生院」は、聖徳太子誕生の宮の所在地とも伝えられ、現在は天井一面を260華の日本画で埋め尽くされた念仏写経研修道場で「写経」が行われ、9:00〜16:00迄、随時「本堂」で受付、只、経を写し書くだけでなく、簡単なお勤めもあります。
 国史跡「伝飛鳥板蓋宮跡」

 「橘寺」の東門から出て、「飛鳥川」沿い南へ行くと「石舞台」ですが、東門から北へ出てバス通りを東へ進み、左(北)へ折れると、643年(皇極2年)4月末から政治を行った「伝飛鳥板蓋宮(でんあすかいたぶきノみや)跡」が在り、645年(皇極4年)6月12日中大兄皇子(後の天智天皇)が、母の皇極天皇の目の前で蘇我入鹿を中臣鎌足らと諜殺し、大化改新をやり遂げた所です。今は井戸を復元して史跡公園ですが、殺された入鹿の館は写真のバックに写っている甘橿丘に在ったけど、入鹿の父蝦夷も息子の死を知って自害しました。なお、宮殿は、655年(斉明元年)災害に遭って姿を消し、未だ全貌は不明です。
 飛鳥の「弥勒石(みろくいし)」

 「伝飛鳥板蓋宮」から西へ向い、川原寺跡の北側、真神原(まかみがはら)の西を流る「飛鳥川」に沿って、ちょっと下流へ行くと、車道へ出るまで、川の右岸に「弥勒石」が立っています。と云っても石柱状の巨石で、石には仏顔面も殆どなく、わずかに目と口と見られる部分に少し細工が施されているだけで、何の変哲もない巨石ですが、「弥勒石」を拝むと下半身の病気が治ると云う言い伝えがあり、今も地元や周辺の人々の信仰を集めると共に、「ミロクさん」と呼ばれて親しまれ、毎年旧暦の8月5日に飛鳥大字の方でお祭りを行っておられます。なお、この辺りは甘橿丘(あまかしノおか)の東麓で、明日香村大字岡です。
 犬養万葉記念館(TEL 0744-54-9300)

 「板蓋宮跡」から「石舞台」へ向かう途中、バス停「岡寺前」の少し手前に南都明日香ふれあいセンター「犬養万葉記念館」があります。明日香村名誉村民で文化功労者、「萬葉は青春のいのち」と言われながら平成10年10月3日享年91歳で亡くなられた犬養孝先生がこよなく愛された万葉集、その中で詠まれた自然、風土の慈しみ、歌の心、人の心を大切にしたいと願って、この記念館が誕生しました。玄関の横に、高市皇子の巻2−158「山吹きの歌碑」が建って、館内には、展示室、犬養先生の部屋、図書室、坪庭、喫茶室があり、展示ビデオで、明日香村を始め、全国各地の万葉故地を映し、懐かしい犬養節が聞けます。
国特別史跡「石舞台古墳(TEL 0744-54-4577)」

 「橘寺」又は「板蓋宮跡」から「飛鳥川」沿いに南東へ辿ると、明日香村島ノ庄の「石舞台古墳」です。拝観8:30〜17:00(受付16:45まで)、大人250円、大小30個の花崗岩を積み上げて築かれた横穴式の石室を持つ方形墳で、日本書紀推古天皇34年に記載された蘇我馬子大臣の桃原墓と云われ、「石舞台」の名の謂われは古墳上部の封土を失い、むき出しになった巨大な天井石の上で、狐が女に化けて舞を見せたと云う説と、旅芸人が大きな石組みの上で芸を披露し、舞を優雅に舞ったと云う説が有ります。なお、2つの天井石の重さは、北側が約64t、南側が約77tで、また、総重量は推定2300tです。



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