御所市、「巨勢の道」  その2
 「圓照寺(えんしょうじ)」の山門

 「野口神社」からちょっと北へ戻って、「葛城川」沿いに北西に進み、「豊年橋」から西へ行くと、寺内町に浄土真宗本願寺派東向山「圓照寺」があります。御所御坊と称し、京都西本願寺大和五ケ所御坊の1つです。創建時期に関して諸説ありますが、戦国時代の末期から江戸時代初期、大和平野南部に浄土真宗門徒が急激に増え、次々と惣道場が建立され、その課程で葛上(かつじょう)郡の門徒を統括する目的で御坊が建立されました。なお、元は浄徳寺(常徳寺)と称していましたが、1658年(万治元年)「圓照寺」に改め、江戸時代を通じて西本願寺の触頭を勤め、大和平野南西部西本願寺末50ケ寺余りを統括しました。
 吉祥草寺(TEL 0745-66-0145)

 「圓照寺」から西へ行くと、茅原(ちはら)に本山修験宗茅原山「吉祥草寺(きっしょうそうじ)」があります。第34代舒明天皇の創建で、634年修験道開祖役行者がここで生まれ、彼の開基です。昔は東西4キロ、南北5キロの境内に末寺49院を整え、歴代天皇の祈願所として隆盛を極めたが、670年(天智天皇9年)と、1349年(正平4年)南北朝の兵火で焼失し、今の本堂は、1396年(応永3年)再建で、本尊は「五大明王」、祖師堂に役行者32歳像、母君(白専女)像、観音堂に空海像等を安置し、毎年1月14日に行われる左義長は、第42代文武天皇の夢枕に役行者が現れ、法要を営んだのが始まりです。
 「笠堂(かさどう)」伝説

 「吉祥草寺」の山門を出て、真っ直ぐ南へ行くと、バス停「茅原」の角に「笠堂」が建っています。その昔、役ノ行者(役小角)が高城山(現在の金剛山)に修行へ行こうとしたら、大暴風によって近くの農民が田植えも出来ずに困り果てていました。そこで、役ノ行者が笠を脱いで自ら進んで田に入ると、雨が止み、夕刻までに田植えが出来る様になったそうで、その後笠を脱いだ場所に「地蔵尊」を安置する堂を建立し、「笠堂」と称しました。また、1590年頃(天正年間)「笠堂」修繕竣工供養の際、明智光秀の娘が通りかかって供養をしましたが、今も婚礼の花嫁がここの前を通る時、「笠堂」に目隠しする風習があります。


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