室生と大和富士周辺  その4

室生川の太鼓橋「室生橋」

 「西光寺」から村落を通って、室生川の方へ下って行くと、室生川の対岸に「室生寺」の境内が見えますが、谷へ降りる斜面にちょっとした公園が在り、集水井(ちゅうすいせん)体験模型等が置かれています。そして、室生川に沿った「県道28吉野室生針線」のバス通りを横切り、赤い欄干の「室生橋」を渡ると、室生寺の境内で、毎年11月下旬の晩秋の頃は写真の様に紅葉が真っ赤っかに色付いています。なお、女人高野の「室生寺」へバスで行く場合には、近鉄大阪線室生口大野駅から室生寺前行のバスに乗って、終点で降りますが、「大野寺」から室生川に沿って東海自然歩道なら、約6キロ2時間のハイキングコースです。
室生寺(TEL 0745-93-2003)表門

 真言宗、室生寺派の大本山「室生寺」は、681年天武天皇の勅願で、役行者が草創し、後に空海が再興したと室生寺縁起の「宀一(べんいつ)秘記」に書かれ、山号は室生を略して「宀一山」です。なお、ここは古代より勅使が派遣された水神の聖地で、神奈川県立金沢文庫所蔵の「宀一山年分度者奉状」によると、桓武天皇が興福寺の賢m(けんけい)に創建させたとし、賢mが、793年(延暦12年)10月89歳で入滅の後、彼の弟子で天台を治めた修円によって密教道場の形が整えられ(彼の廟は、織田常真の墓と共に五重塔の傍)、後に堅恵が継承し、また、空海の高弟真泰(しんたい)が入山して、真言密教のお寺です。
女人高野「室生寺」の「仁王門」

 なお、「室生寺」は、中世において興福寺の末寺でしたが、江戸時代になると、法相宗「興福寺」の勢力が衰え、真言宗「護持院」の隆光大僧正が口添えし、1698年(元禄11年)徳川綱吉将軍の母・桂昌院(けいしょういん)の要請で興福寺から離れ、また、彼女が2千両を寄進して帰依し、女人禁制の高野山に対抗して、室生寺を「女人高野」にしました。なお、室生寺の「仁王門」は、南面する「表門」を入って右(東)へ進むと、西向きに建っていますが、そこから更に東へ進んで突き当たり、左折して北へ向ったら、なだらかな「鎧(よろい)坂」の石段を登った正面が室生寺の草創時期に建立された国宝の「金堂」です。




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