磐余(いわれ)の道と多武峯街道  その12

 明日香村「冬野の名水」

 また、「談山神社の西大門跡」を過ぎてから、左の橋を渡って、南側の林道を約800m登って行くと、明日香村へ入り、「冬野の名水」が湧き出ています。そこを大きく右へ曲がって直進すると、明日香村冬野の集落で民家に突き当り、左折して集落を外れた辺りに「右たむのみね道」と彫られた道標が建っていて、右(西)へ行くと、良助(りょうすけ)法親王の冬野墓に至り、また、左(東)へ行くと、波多神社へ至るけど、直進して南の細峠で、1688年(元禄元年)松尾芭蕉が多武峰から吉野の龍門へ向う時に句を詠み

 雲雀より空にやすらう峠かな  芭蕉
 竜在峠の昔の茶屋跡

 なお、明日香村冬野には、1772年(明和9年)本居宣長が「菅笠日記」の旅で、吉野へ行く時に立ち寄っています。更に冬野から南へ向うと、左折れで、峰道から東へ下りると、県道37号桜井吉野線の鹿路(ろくろ)トンネルへ至るけど、直進して南へ上がると、竜在峠の辺りで、昔の茶屋跡に吹き曝しで屋根付の休憩所があり、左(東)へ向うと、吉野町の滝畑へ至りますが、直進して右へ曲がりながら西へ向うと、明日香村畑で、途中で林道を逸れ、右(北)へ上がると、男渕へ至るが、表示に従い脇道へ入っても滝は無く、道をそのまま上がると、左下の谷間に落差9m、幅2mの滝が崖を滑り落ち、木の間隠れに見えます。
 細谷川の女渕の滝

 また、元の林道へ戻って、1.5キロほど下ると、林道から右へ下りた所に竜在峠から発する細谷川の女渕(めぶち)があり、右奥へ進むと、落差約5mの滝で、滝壺は6mの青竹を入れても底に届かず淀んでいます。先の「男渕」と共に「女渕」も竜宮へ通じて、竜神(男渕は男神、女渕は男神)が住んでいたと云われ、また、2つの滝は、共に雨乞いに霊験があらたかで、「日本書紀」によると、女帝で第35代皇極天皇元年(642年)の条に「8月の甲申(きのえさる)の朔(ついたち)に、天皇が南淵(明日香村稲渕)の河上に幸(いでま)して、跪(ひざまず)き、四方を拝(おが)み、天を仰いで祈ると、雷がなって大雨が降って、遂(つい)に雨ふること五日。遍(あまね)く天下を潤す。」とあり、天皇自らがこの地で降雨の祈願を行った場所とも考えられます。なお、女渕から元の林道へ上がらず、細谷川に沿って下流へ向うと、林道と合流し、下って行くと、明日香村入谷を通り、明日香村栢森の加夜奈留美命神社の所に出て来ます。




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