興福寺      その3

講堂跡地に建つ「仮金堂」

 講堂跡地に建つ仮金堂は、昭和50年5月西の京の薬師寺の旧金堂 (1555年頃の天文弘治年間に建立)を改造移築したものです。堂内に安置されている仏さまは、中金堂からの仮住まいで、通常は秘仏ですが、開扉は西隣の「北円堂」と同じく、春と秋の2回特別な期間に公開されます。なお、興福寺には昔8組の四天王像が有りましたが、平重衡の治承の兵火で全て焼失し、その後に造られた四天王像が現在4組在り、西隣の「北円堂」にも1組安置されていますが、こちら「仮金堂」の四天王像は、いずれも手に武器を持っておられるのに、「北円堂」の四天王像 は、すでに武器を紛失し、手に何も持っておられません。また、春と秋の開扉の期日は、毎年変わるので興福寺さんへお問い合せ下さい。
 興福寺国宝館(TEL 0742-22-5370)

 明治8年に取り潰した興福寺の細殿(さいでん)、食堂(じきどう)跡に、昭和33年に完成した「興福寺国宝館」があり、開館9:00〜17:00、年中無休で、拝観料は一般・大学生の大人500円です。館内に白鳳から鎌倉時代に至る多くの仏像を安置し、教科書等にも載っている、ちょっと憂いを含んだ顔で脱活乾漆の国宝「阿修羅像(天平)」や、切れ長の目が涼やかな国宝の「仏頭」、板彫十ニ神将(平安)、運慶の子・康弁(こうべん)の「天燈鬼・竜燈鬼」等があり、その他、奈良時代から興福寺に伝わる彫刻、絵画、書籍、工芸、考古資料等の寺宝を収蔵されていて、常設陳列の他に、随時特別陳列も行われます。
興福寺の国宝「東金堂」

 興福寺には、かって金堂が3つ在り、東に位置するのが、西国薬師霊場第四番の「東金堂」で、726年(神亀3年)聖武天皇が伯母の元正天皇の病気平癒を願って創建されたが、兵火で焼失の後、現在の建物は1415年(応永22年)に再建されて、昔は南隣の「五重塔」と共に1つ塀で囲まれていました。堂内の安置仏は、本尊が重文の薬師如来像で室町時代、脇侍で重文の日光・月光の両菩薩像が白鳳時代、共に国宝の文殊菩薩像、維摩居士像、十二神将像が鎌倉時代、国宝の四天王像が平安時代の作です。なお、拝観は年中無休で、9:00〜17:00ですが、時々夜間拝観もあり、拝観料は一般・大学生の大人300円です。
奈良のシンボル「五重塔」

 国宝の五重塔は、730年(天平2年)光明皇后の御願によって建立され、以後5回焼失し、今の塔は、室町時代の1426年(応永33年)に再建されて、高さは京都の教王護国寺(東寺)の「五重塔」に次ぎ我が国で2番目で、総高50.10mです。最上部の相輪の高さは15.08mで、力強い木組で深い軒の出を持ち、雄大で美しい姿が特長です。また、各層の屋根の大きさが余り変わらないため、近づくにつれてのしかかるような迫力を感じます。初層内陣の東側に薬師如来像、西に阿弥陀如来像、南側に釈迦如来像、北に宝生如来像が安置され、これらは三尊形式の四方仏です。なお、興福寺の五重塔は、明治になる少し前1868年(慶応4年)神仏分離令が施行された時、たった25円で売りに出され、危うく姿を消す所でしたが、幸い売れずに現在に至っています。また、五重塔の前に建ってる石灯籠の高さは約2mで、五重塔が余りにも高く目立ちませんが、この灯籠もかなり古く1545年(天文14年)5月16日に建ててます。


奈良観光表紙に戻る  興福寺境内図を開く  前のページに戻る   次のページへ