伊勢本街道「御杖村」  その1
 桃俣(ももノまた)の「春日神社」

 奈良県宇陀郡「御杖(みつえ)村」へ西から入る時は、奈良交通バス「榛原駅」から「曽爾村役場前」行か、三重交通バス「名張駅」から「掛西口」行に乗車し、共にバス停「掛西口」で乗り換え、「神末敷津」行の村営「御杖ふれあいバス」で、曽爾川沿いに国道368号線を上がり、バス停「桃俣」で下りて、桃ノ俣川沿いに右(南)へ1.5キロ入ると、桃俣小字大ノ谷に「春日神社」が鎮座しています。1560年代(永禄年間)兵火にかかり、創祀や、由緒は不明ですが、本殿は元春日造であったのが現在は流造、祭神は天津児屋根命、大日靈貴命、木花佐久夜媛命を祀り、神宮寺として「万行山地蔵院春日寺」がありました。
 土屋原「春日神社」の「ラッパ銀杏」

 また、桃ノ俣川(もものまたがわ)に沿ってバス停「桃俣」まで出て、伊勢本街道を曽爾川(そにがわ)沿いに東へ向い、バス停「御杖西小学校」で下りて、北へ行った直ぐの所が御杖村大字土屋原小字西谷で、「春日神社」が鎮座しています。創祀、由緒は不明ですが、本殿は素木の神明造で、祭神は天津児屋根命、社宝として延徳3年(1491年)銘の銅製の神像があり、なお、鳥居の横に植わっている巨樹の「ラッパイチョウ」は、昭和44年に日本で始めて発見された葉の1割がロート状にくるりと巻くラッパ型で、樹高約20m、幹周約5.4m、奈良県の保護樹木に指定され、毎年11月3日(祝)秋祭が行われます。
 安能寺(中嶌教道氏 TEL 0745-95-3330)

 「国道368号線」を更に東へ行き、バス停「菅野(すがの)西口」で下りて、北へ向かうと、曹洞宗宝涌山「安能寺(あんのうじ)」があります。820年頃(弘仁年間)空海の建立で、元は室生寺の別院でした。室町時代に衰退して、1478年(文明10年)城上郡芝(今の桜井市)の慶田(けいでん)寺第二世江父徳源により菅野村寺尾に再興されましたが、後に現在の地に再建されて曹洞宗の寺院になり、正徳2年(1712年)の棟札がある鐘楼門は県文化で、境内に入ると、江戸時代中期の本堂や、禅堂などがあり、1728年(享保13年)大洪水による山崩れで本道が倒壊したが、まもなく再建され今に至っています。

 四社神社(大森宗祐氏 TEL 0745-95-2135)

 更に西へ行くと、「四社神社(ししゃじんじゃ)」が鎮座し、本殿は神明造です。1752年(宝暦2年)天照大神、春日大神、八幡神、熊野神の四柱を祀って「四社大明神」と称しますが、それより昔、 崇神天皇の皇女・豊鋤入姫命(とよすきいりひめノみこと)に続き、第11代垂仁天皇の御代、皇女・倭姫命(やまとひめノみこと)が御杖代(みつえしろ、斎宮の事)になり、大和笠縫邑(かさぬいむら)から神慮(しんりょ)に叶う新たな宮地を求めて、ここで行宮(ゆきみや)を造り、禊(みそぎ)をして、後に伊勢へ遷宮(せんぐう)になったので、伊勢本街道沿いの当地を「天照(あまてらす)の道、元伊勢」とも称します。
 倭姫禊の「御井」と「酢壺田碑」

 なお、「四社神社」では586年頃、第31代用明天皇の御世に至って、御杖代(みつえしろ、天照大御神をお祀りして、大御神のお言葉を取り次ぐ斎宮)になられた皇女・稚足姫(ちたりノひめ)が、またこの宮跡に宮を造られ、その時、酢(す)の泉が湧き出して、酢の香が姫の御手に移りました。故に、この地を「酢香野(すかの、現在は菅野)」と命名され、自らの名を酢香手姫(すがてひめ)と呼びました。また、この泉を「酢壺田碑(すつほた)」と云い、その泉のあったことを示す石碑が、倭姫命が禊をされた「御井(みい、井戸)」の横に建っており、これらは本殿に向かって右横にあり、今もお祀り申し上げています。




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