「大淀町」  その5
 世尊寺(TEL 07463-2-5976)

 「妙楽寺」から更に東へ向うと、大淀町比曽の曹洞宗霊鷲山「世尊寺(せそんじ)」です。586年(用明元年)聖徳太子創建で、太子建立48ヶ寺の1つ、古くは、吉野寺、比蘇寺、栗天奉寺とも称し、「日本書紀」よると、欽明天皇14年5月茅渟海(ちぬノうみ、大阪湾)に光輝く樟木が漂着したので、溝辺直を遣わし、その木で阿弥陀如来坐像を彫って安置したから現光寺とも呼び、奈良時代多くの碩学(せきがく)の僧が住み、後に清和・宇多天皇の行幸、藤原道長の参詣、後醍醐天皇の行幸等があったが、中世以後、相次ぐ戦乱で焼失して荒廃し、今は後世の建物が建つ境内に礎石が散在し、山門の「猿」は左甚五郎作です。
 「世尊寺」の本堂

 国史跡「比曽(ひそ)寺跡」の「山門」を入ると、中に「中門」があり、その間に東西三重塔の礎石が残っています。東塔は聖徳太子が父の第31代用明天皇のために、西塔は炊屋姫(後の推古天皇)が亡き夫の第30代敏達天皇のために建立されたが、西塔は賊によって焼かれ、東塔は室町時代初期に再建され、後に豊臣秀吉が伏見へ持ち去り、江戸時代初期に徳川家康が大津の三井寺へ移築しました。また、中門を入った中庭が「金堂」の跡で、現在の「本堂」が建っている所は「講堂」の跡ですが、これらの遺構により、当時の伽藍配置が薬師寺式と考えられ、なお、今の「太子堂」には「太子十六才の孝養像」を安置しています。
 天照大神社(あまてらすおおみかみしゃ)

 なお、「世尊寺」本堂の裏には、聖徳太子御手植え「壇上桜」が植わっており、1688年(元禄元年)4月松尾芭蕉が弟子の杜国と伴に当寺に参詣し、その桜を詠んだ句碑があります。また、その横に役行者の「腰掛石」があり、金峯入峯前に役行者がここで修行をしたので、当寺は「行者道分道場」でもあります。更に、山門を入った右側に「天照大神社」が鎮座しています。祭神・天照大神を祀って、神祭用の湯釜銘に「明応5年(1496年)丙辰9月8日比曾現光寺」とあるけど、遅くとも室町以前の創祀で、1765年(明和2年)の世尊寺校割帳や同3年世尊寺年譜から同寺の鎮守で、比曾村の氏神であった事が判ります。




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