佐保、佐紀路辺り その7
想い出のドリームランド」 「那富山墓」から南へ下ると、平成18年8月末日をもって閉園された旧「奈良ドリームランド」の正面で、道を下り切った所に高さ約1mの石碑「聖武天皇皇太子那富山墓左二丁」が建っています。なお「奈良ドリームランド」は、昭和36年に奈良の「夢の国」として開園し、多くの家族連れに親しまれ、過っては関西最大・走路総延長1081m木製コースター飛鳥や、360度2回転のスクリューコースター等多くの遊戯がありました。また、旧ドリームランド正面に向い、左横からトンネルの上の通りへ上って、左(南)へ向って歩き、北消防署・佐保出張所前の四つ角を右(西)へ曲がると、すぐ右(北)側が「興福院」です。 |
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県文化、興福院の「大門」 尼寺で浄土宗法蓮山「興福院(こんぶいん)」は、750年頃(天平勝宝年間)和気清麻呂が和気氏の学問所「弘文院」を添下郡菅原伏見の里(奈良市尼辻)に造ったのが始まりと云われ、開祖は、秋篠氏出身の女性で法華寺にいた興俊尼で、彼女は大和大納言秀長に愛され、女子をもうけて、その後、 1590年頃(天正年代)門跡尼寺に準じ二百石の寺領を給わり、1665年(寛文5年)現在地へ移転、元は興福尼院と称され、佐保山の傾斜面に建つ当院は、渡廊が階段状で、境内東に茶人長闇堂(ちょうあんどう)の墓と茶室が在り、拝観は要予約、9:00〜11:00、但し、7月と8月、12月〜2月は、拝観休止です。 |
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興福院(TEL 0742-22-2890) 県文化財で興福院の「本堂」、国重文で入母屋造の「客殿」は、共に江戸時代初期に旧寺地で建てられ、本尊「木心乾漆阿弥陀如来」及び「両脇侍像」は奈良時代後期に造られた三尊像で国重文です。また、鎌倉時代の「絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図」や万葉集分類書「紙本墨書古葉略類聚鈔」、江戸時代の「刺繍袱紗(ししゅうふくさ)31枚」等がいずれも国重文として残されていますが、それ以上に一見の価値があるのは、傾斜地を利用して造られた小堀遠州好みの庭で、三大茶人の1人、小堀遠州ゆかりの茶人・長闇堂(久保権太輔利世)が、春日山や、御蓋山、若草山、大仏殿等をたくみに借景に取り入れて造園しました。 |
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旧関西鉄道の「大仏駅」跡 「興福院(こんぶいん)」から真っ直ぐ南へ行って佐保川の「下長屋橋」の手前に機関車の車輪を模したモニュメントがあります。これは明治28年に名古屋から草津まで開通した関西鉄道が、明治30年11月柘植(つげ)から加茂まで開通して、翌31年4月に加茂から梅谷を経て黒髪山トンネルを通り、奈良市の法蓮にあった「大仏駅」まで開通した名残の記念碑ですが、当時は「大仏駅」から一条通りを通って東大寺参拝客で賑わいました。しかし、明治31年12月に「奈良駅」まで延長され、翌32年5月に乗り入れが実現したが、その後、線路が加茂から木津経由に変便され、明治40年8月「大仏駅」は廃止されました。 |