「大和三山」と「長寿道」の辺り  その18

 御厨子観音(妙法寺、TEL 0744-22-3928)

  「橿原市昆虫館」から又車道まで下りて来て、北へ向かうと、かっての「橘街道」です。ちょっと進んで左(西)の丘陵に、高野山真言宗、御厨子山(みずしさん)「妙法寺(みょうほうじ)」があり、717年(養老元年)吉備真備が安倍仲麻呂らと供に入唐する際、航海の安全と学問の成就を祈り、無事に帰国した後、息子の善覚律師に命じて、735年(天平7年)観音堂を創建しました。本尊は、一願成就の「十一面観世音菩薩立像」、真備の念持仏です。毎年1月4日初護摩、5月第2日曜日お稚児さん参り、7月24日地蔵祭り、8月第1日曜日施餓鬼、10月第1日曜日大津皇子忌で、毎月28日に護摩供養が行われます。
 御厨子(みずし)神社

 「妙法寺」の北隣に「御厨子神社」が鎮座します。元は「水尻(みずし)神社」と云い、根柝(ねさく)神、安産霊(やすむすび)神と供に「妙法寺」の鎮守「八幡神社」を合祀して誉田別命を祀り、今の社名に改められ、旧村社です。なお、水尻とは、直ぐ東側にあった磐余池(いわれいけ)の樋口(水司)の事で、また、当社の北西に膳夫(かしわで)町があり、御厨子所(みずしどころ、内膳司)とも関係があるとか。大津皇子の辞世の万葉歌碑が、神社の参道口にあり、

 百伝ふ 磐余の池に鳴く鴨(かも)を 今日のみ
 見てや雲隠(くもかく)りなむ  巻3−416
 蓮台寺(TEL 0744-42-3045)

 「御厨子観音」から又東へ出て、「橘街道」を北へ行き、「長寿道」、更に「国道165号線」を横切ると、JR桜井線「香久山駅」、近鉄大阪線「大福駅」へ至るが、その手前に浄土宗宝林山「蓮台寺(れんだいじ)」があります。730年代(天平年間)行基の開基で、吉備真備が浄刹を当寺地に建立し、本尊は、「阿弥陀如来立像」です。なお、境内の南側に国重文「石造五輪塔」が建ち、花崗岩製、塔高2.1m、一重基壇に立つ完形、地輪(最下段)に銘があり、「為一切衆生、奉造立者也、徳治二年(1307年)卯月八日、願主当麻秀清」と彫られ、吉備真備の墓とも称し、元は「蓮台寺」の東側の池田墓地にありました。
 国重文、吉備大臣の墓と称する「五輪塔」

 なお、この辺りは吉備氏の別業地で、近くに氏寺の「吉備寺」もあったと伝えられていますが、吉備真備は、吉備(岡山)地方の豪族出身で、安倍仲麻呂らと供に留学生として中国へ渡ったのを含め、二度入唐して、帰国後は聖武天皇の政界で活躍し、称徳女帝時代766年(天平神護2年)74歳で右大臣に上って、地方豪族出身者の出世頭です。また、彼は、陰陽道・天文学など諸芸に通じ、唐では鬼(入唐して殺された安倍仲麻呂)の助けにより、難解な「野馬台の詩」を読み解き、陰陽道の秘伝書「金烏玉兎集」を授かり、その後、和歌山県太地町灯明崎に難着しながら帰国して、それを将来し、安倍仲麻呂の子孫に譲りました。
 吉備(きび)池

 なお、「蓮台寺」の北に「光専寺」があるけど、又南の国道165号線を越えて直ぐ、左(東)へ入ると「春日神社」があり、その直ぐ南に「吉備池」があります。池の北西角に大津皇子の万葉歌碑巻3−416が建っていますが、池の南淵から平成9年以来の発掘調査で、2つの巨大な基壇が出土し、金堂基壇と見られるものは、東西37m、南北28m、高さ2mで、塔基壇と見られるものは、一辺が約30mの方形で、高さ2.1m以上あり抜き取られた心礎の幅が、3〜4mと推定され、「日本書紀」に書かれた、639年(舒明天皇11年)12月、「百済川の側に九重塔を建つ」とある官寺、「百済大寺」の遺構らしいです。




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