二上山の麓、當麻の里  その15

 県指定史跡「鳥谷口(とりたにぐち)古墳」

 「山口神社」の拝殿の脇から横へ抜けて「大池」の上を通って「二上山登山道、近畿自然歩道」に至ると山際を少し上がった所に「鳥谷口古墳」があります。約1300年前、古墳時代の終末期、7世紀後半頃に築造され、高さ2.1m、一辺約7.6mの方墳で、墓室は南側に開口部がある横口式石槨(よこぐちしきせっかく)と云う構造で、石槨は組合せ式家形石棺の形をとり、二上山から切り出された凝灰岩(ぎょうかいがん)を使用していますが、底石や北側の側壁には家形石棺(いえがたせっかん)の蓋石(ふたいし)の未製品を利用して、特異な石槨の構造をしています。また、出土遺物に須恵器や土師器などがありました。
 天台宗「祐泉寺(ゆうせんじ)」

 「二上山」へ南側から登る山道「近畿自然歩道」を少し上がると右手に真言宗二上山「大龍寺」があり、その前にヘラづりで賑わう「当痲池」もあり、ここら辺りから登山道が少し坂道になり、小川に沿って登ると、小さな滝の側に不動明王が立ち、また反対側の杉林の斜面に「裏向不動明王」等が祀られていますが、「大龍寺」から約600mの地点で、登山道が二俣に分かれて、どちらからでも「二上山」へ登れますが、そこの木の間隠れに比叡山延暦寺の末寺「祐泉寺」が建っています。ちょっと見たら普通の民家の様ですが本尊は高さ118cmの釋迦牟尼如来立像で、脇侍が通常阿弥陀如来に仕える観世音菩薩と勢至菩薩です。
 浄土真宗「高尾寺(たかおじ)」の収蔵庫

 山を下りて、また「大池」と「傘堂」の間を通り、直ぐの二股で右へ曲がると、雑木林で囲まれた中に後鳥羽、後白河両天皇の勅願寺で、盛時に「高尾千軒」と呼ばれて繁昌した「高尾寺」があります。白鳳年間「役行者」によって創建され、また、平安後期に恵心僧都源信の母が、当寺の観音菩薩に祈願したら源信が授かったと云われ、今も平安初期の「聖観音立像」と平安後期の「薬師如来坐像」が安置されてますけど、残念ながら「観音堂」は平成11年冬放火で焼失し、今は「鐘楼」と鉄筋コンクリートの「収蔵庫」だけが残っています。なお、拝観希望の方は、「高尾寺」の北にある新在家の「明円寺」まで申し込んで下さい。




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