二上山の麓、當麻の里  その14

 奈良県史跡「首子塚」

 「近畿自然歩道」からそれて東側の国道165号線大和高田バイパスの方へ向かうと、バイパスの手前に「首子塚」があります。この辺り二上山東麓の丘陵は東西約400m、南北約300mの範囲の内に古墳が7基点在し「首子七塚」と呼ばれ、6世紀初〜7世紀中頃にかけて造営され、古代の豪族當麻氏が関わった「首子古墳群」で、第五号墳「首子塚」はその内でも盟主的な古墳の1つです。径30mの円墳と云われていますが、帆立貝式古墳とも考えられる墳形で、埋葬施設は確認されていませんが、木棺を直葬したものと考えられ、墳丘裾には円筒埴輪がありました。また、首子古墳群では形の変わった古墳が多く見られます。
 県有民の「傘堂(かさどう)」

 「首子塚」からまた「近畿自然歩道」へ戻って更に「二上山」の方へ上がると、山裾に「大池」があり、その手前、池の東畔に「傘堂」が建っています。江戸時代初期、飛騨の「左甚五郎」が建てたと伝えられ、1辺42cmの方柱1本の上に1辺1間(1.8m)で方形の傘が乗った様な形で、本瓦葺の頂上に瓦製の宝珠露盤を乗せ、「傘堂」に三度参拝すれば、長患いせず、下の世話にもならず、ぽっくり安楽死して、葬儀は晴天に恵まれると云われ、なお、「傘堂」の「傘阿弥陀」は「石光寺」に安置し、そして、「鐘」は葛城市當麻新在家の「明円寺」に保管され、また、「傘堂」と同じ物は天理市柳本「五智堂」にもあります。
 式内大社「當痲山口神社」

 「二上山」への登山道を挟んで「傘堂」の前に建つ朱色の鳥居をくぐって参道を進むと「當痲山口神社」が鎮座しています。近世文書では「万歳郷平田庄新宮大明神」と書かれ、16ケ村の郷社で、大和山口神社14社の内の1つです。本殿は打越流造、二重破風、但し本屋根は千鳥破風で、向拝が唐破風になった三間社で、中央に高天原から天降(あまくだ)った彦火瓊瓊杵命(ひこほノににぎノみこと)、右に彦火瓊瓊杵命の義父・大山祇命(おおやまつみノみこと)、左に大山祇命の娘で彦火瓊瓊杵命の妻・木花咲耶姫命(こノはなさくやひめノひこと)を祀っています。なお、彦火瓊瓊杵命は天孫降臨で三種の神器を携えました。




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