石仏の里「当尾(とうの)」  その5

 岩船寺(TEL 0774-76-3390)本堂

 真言律宗、高尾山「岩船寺」は、奈良時代729年(天平元年)第45代聖武天皇が出雲国不老山大社へ行幸された時、夢想によって発願され、行基に勅して創建された古刹です。ご本尊は行基の作と伝えられる国宝の「阿弥陀如来坐像」で、高さが9尺3寸九分、金鍍金(きんめっき)が施され、頭を螺髪(らほつ)にして、人差し指と親指で丸を作った禅定印を結び、東の持国天、西の広目天、南の増長天、北の多聞天の「四天王立像」に囲まれて坐っておられます。その他ちょっと狭い境内に鎌倉時代末1310年代に造られいずれも重文の「石室不動明王」、「十三重石塔」等が在り、梅雨の紫陽花と睡蓮、秋の紅葉などが美しい。
 岩船寺の重文「三重塔」

 当地に行基が「阿弥陀堂」を建立した後、弘法大師空海の姉の子「智泉大師」が、806年(大同元年)「報恩院」をここに建立した頃、第52代嵯峨天皇が智泉大師に勅して皇孫誕生を祈願すると、皇子(後の第54代仁明天皇)が生まれました。そして825年(天長2年)智泉大師が亡くなると、威徳を偲んで、仁明天皇が835年(承和2年)に「三重塔」を建立しました。けれども1221年(承久3年)の兵火で他のお堂と共に焼失し、その後100年以上もたった鎌倉時代の1382年(弘和2年)にやっと再建されたのが、高さ約20.5mの現在の「三重塔」です。なお、「三重塔」の真下に在る池に植わっている睡蓮(すいれん)は、花が水面を抜き出る熱帯性の昼咲種で、六月中旬の午前中にのみ美しい容姿を見せます。また、「三重塔」の斜め背後に鐘楼が在り、何時でも「報恩の鐘」を撞かして頂けます。更にそこを登った所に若い銘木の「滝桜」が植わっていますが、親木は日本一美しい巨木、福島県三春町の天然記念物です。
 岩船寺境内奥の「貝吹岩」

 「三重塔」の南側へ登ると「勧喜天」が在り、更に細い山道を約30m程行くと標高321m御本陣山の「貝吹岩」に至ります。昔、39坊の僧を呼び集めるためにここで法螺貝を吹いたそうです。ここから西に生駒山や、北に大きな蛇行の木津川が以前は良く見えましたが、近頃は竹や木立が邪魔をして見えません。また、ここまで登って来る山道の足下に立てられてる立木の説明板は有り難く助かります。岩船寺と言えば梅雨の頃の紫陽花ですが、その学名はオタクサです。シーボルトの日本妻、楠本タキから取られ、彼は妻を「オタクサン」と呼び、日本から持ち帰った紫陽花の標本はオランダ・ライデンの標本館に今も在ります。
 重文の「白山神社摂社春日神社」

 「貝吹岩」から「岩船寺」の境内へ下りる途中で、本堂の直ぐ上に細長い広場が在り、その奧に朱色の社「白山神社摂社春日神社」が建っています。創建は、729年(奈良時代の天平元年、長屋王が謀反の疑いをかけられ自決した年、また、藤原不比等の娘、光明子が聖武天皇の皇后となった年)7月、岩船寺の伽藍守護として柿ノ本二丸に宣下社殿を造らせて、行基が記紀に載っているイザナミノミコトを勧請しました。よって、女神を祭神とする白山(はくさん)神社は、子供に対する守護霊験があらたかです。また、神社に向かって右から岩船寺の山門前へ下りるちょっと急な石段が在りますが、そこから下りると境内の外です。




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