二上山の麓、當麻の里  その8

 當麻蹶速(たいまノけはや)之塚

 相撲館「けはや座」の直ぐ隣に建つのが「當麻蹶速塚」、「日本書記」によると、我が国における相撲の始まりは、第11代垂仁天皇7年、自分の強力を鼻に掛け自慢していた當麻蹶速を負かすため、出雲国より呼び寄せられた野見宿禰(のみノすくね、土師氏の祖で、菅原道真の祖先)とが、奈良県桜井市穴師に建つ穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社の参道脇にある広場(カタヤケシ、現在、土俵と小さな石の祠の相撲神社が在る)で、7月7日に天覧相撲をしたのが初めで、勝負は野見宿禰が當麻蹶速を蹴り倒して、あばらの骨をへし折って勝ちました。そして、負けた當麻蹶速が、現在も「五輪塔」の下に眠っています。
 大和のあちこちにある「水吐龍」

 「當麻蹶速塚」から国道165号大和高田バイパスを渡って程なく、道の左側に格子の古い民家が並び、「西槙徳逸」さん方の玄関の軒下に旧式の手押し式の消防ポンプ「水吐龍」が吊り下げられています。この型のポンプは、「葛城古道」名柄の民家、「滝坂道」の飯倉さん方の軒下にもあります。また、この辺りの旧家の軒下には、注連縄が張られていますが、これは悪病がみだりに家内に入らない様にするための呪で、なお、葛城市の石光寺の辺りに染野(そめの)と云う所があり、その昔、染物に使うアカネ、ムラサキ等が生えていたので、みだりに採らない様に禁じられて、「禁野」「染野」と書き、「しめ」と読んでいます。
 當麻小字西中(平田)の「春日神社」

 また、「西槙」さん方から更に西へ進み、「當麻寺の仁王門」へ向って、道の左側に建つ地蔵堂の奥にあるのが平田の「春日神社」です。祭神は、天児屋根命(あめノこやねノみこと)、「古事記」によると天照大神が天岩戸へ隠れた時、八百万(やおよろず)の神々と相談し、岩戸の前で祝詞(のりと)を奏上した神さんです。後に皇孫(天照大神の孫)の邇邇芸命(ににぎノみこと)が天降(あまくだ)った時に、五伴緒(いつともノお)として共に高千穂に降臨され、「和の神」「家内安全の神」として崇められ、また、後世の藤原氏の遠祖です。なお、拝殿は1813年(文化9年)8月の再建ですが、本殿の左右に建つ2対の石灯籠には、延宝六歳(1678年)の銘があります。




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