吉野  その10

 竹林院(TEL 07463-2-8081)

 「桜本坊」から更に南へ行くと、道の右(西)側に大峯山(常楽山)「竹林院」が在ります。聖徳太子黒駒に乗って来て椿谷(ちんこく)に一宇を建て、椿山寺(ちんざんじ)と称したのが始めで、第40代天武天皇専ら御願施物を寄せ、818年(弘仁9年)空海大峯入峰の際、滞在して寺を建立され、常楽寺椿山(じょうらくじちんざん)と号し、941年(天慶4年)大峯山中の笙(しょう)の岩屋で千日行をした日蔵道賢(にちぞうどうけん)が当院で剃髪して、第二世の住職になって中興し、また後、吉野朝時代、第100代後小松天皇の勅命で「竹林院」と改めて、当時は金峯山律寺4院の1つに数えられていました。
 竹林院の「護摩堂」

 吉野朝以後の「竹林院」は、真言宗豊山(ぶざん)派、廃寺、天台宗と変転して、現在は修験宗の単立寺院です。なお、第二世の日蔵道賢は、平安時代初期の漢学者で文章博士から参議に進み、善相公と云われた三善清行(みよしきよゆき)の弟善行(よしゆき)ですが、その後の桃山時代の第23世院主、尊祐(そんゆう)は弓術に優れて、大弓(だいきゅう)法師とも呼ばれ、弓道の竹林流の開祖でも有ります。また、竹林院の「護摩堂」には、本尊の木造彩色不動明王像を中心に、同じ造りの役行者像、蔵王権現の3尊が安置され、境内には「新古今和歌集」の代表的歌人の一人西行法師が吉野に隠棲していた時の歌碑が有ります。
 竹林院「群芳(ぐんぽう)園」

 「護摩堂」の背後が、当麻寺「中の坊」、大和小泉 「慈光院」の庭と共に大和三庭園の1つ「群芳園」で室町時代末頃、竹林院第21世の祐尊が大峯山の姿を移して庭園を築造し、その後1594年(文禄3年)太閤秀吉の吉野山観桜に際して、千利休がそれに手を加え、桃山風の池泉回遊式庭園に修築していますが、一説によると細川幽斎が改築したとも云われ、庭園は320坪(約1000平方米)程在り、手前に出島、左の角に滝が造られ、二重集団二重護岸の石組などに室町時代の遺構をそのまま残していますが、桃山時代の作風を示す蓬莱石組が中心になっていて、吉野山の自然の景観も取り入れ、借景式庭園になっています。




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