吉野  その15

 吉野山の山中の「道標」

 「吉野水分神社」から北へ少し下って「上千本」の「花矢倉」と「横川覚範の首塚」の中間辺りに東側へ下りる道が在ります。「如意輪寺」または「宮滝」への道で、車は通れませんが暫く下ると、右側に石標、左側に「稚児松地蔵堂」が在って、そこから右の道を行くと岩盤の下り坂で、三叉路に出くわすと、写真の様な「如意輪寺」「御園」「喜佐谷」と書かれた道標と、苔むした石標が建っています。坂道を下りて来た方向が「如意輪寺」への道で、坂道を下りて来てそのまま真っ直ぐ進むと、吉野町「御園」の方向ですが、右へ曲がり「喜佐谷」の方向へ進むと喜佐谷の集落を通って、「桜木神社」から「宮滝」へと出られます。
 「吉野宮滝万葉の道」の祠

 道標に従って右へ下りて行くと、右手からせせらぎの音が聞こえて来ます。小石の多い山道を下り小川を渡ると後は殆ど1本道で、象(きさ)の小川に沿って喜佐谷川の合流点まで下ります。なお、吉野山と喜佐谷、宮滝を結ぶ山道は、その昔に西吉野や天川、黒滝地方からの人達が伊勢参宮に往還された信仰の道で、今は万葉集や古代史に心を寄せる人に親しまれている「吉野宮滝万葉の道」で、標高差約340m、距離は約3.8キロ程有ります。また、丁度「万葉の道」の坂道の途中に写真の様な祠(ほこら)が建っていて、中にお地蔵さんが祀られ、毎年8月24日ささやかな地蔵盆の例祭が喜佐谷の村人達によって行われます。
 「象(きさ)の小川」の「高滝」

 「吉野宮滝万葉の道」の祠の背後に「象の小川」が流れていますが、丁度そこは写真の様な「高滝」で、落差約10m、清洌な飛沫を上げています。ここへは1772年(明和9年)3月9日伊勢松阪の国学者、本居宣長も下の喜佐谷から上がって来てここで休み、「喜佐谷村を過ぎて山路にかかる。少し上がりて高滝といふ滝あり、よろしき程の滝なるを、ひと続きにはあらで次々に刻まれ落ちる様、またいと面白し、象の小川といふはこの滝の流れにて、・・」と菅笠日記に書きとどめています。また、葛飾北斎も当時の著名な滝を描いた「諸国滝めぐり」の中で「和州吉野、義経馬洗の滝」として、「高滝」を版画で描いています。




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