生駒山周辺と信貴山まで  その4

 輿山「往生院(おうじょういん)」

 「美努岡萬墓」から北へ行って、住宅地の裏にある輿山(こしやま)を上がった所に「往生院」があり、749年(天平21年)2月2日菅原寺(喜光寺)の東南院において82歳で亡くなった行基(ぎょうき)大菩薩を火葬した土地と伝えられる所に建つ寺で、本堂の裏をくり抜いた所に「五輪塔」が建っています。また、本堂の北側にも高さ205cmの重文「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が建ち、県内最古の銘、鎌倉時代の「正元元年(1259年)」が刻まれ、境内には他にも鎌倉様式の五輪塔が見られ、また、周辺の輿山墓地は、中世以降に生駒谷六郷の惣墓になり、そこにも六地蔵を初め多数の石造群が残っています。
 円福寺(TEL 0743-77-8068)

 往生院から西の青山台住宅を抜けて北へ辿ると、生駒谷を見下ろす高台に真言宗龍華山(りゅうげざん)「円福寺(えんぷくじ)」があり、行基の開基と云われています。重文の「本堂」は鎌倉時代の和様建築、桁行三間、梁間三間、単層入母屋造、向拝一間、本瓦葺、1371年(応安4年)の墨跡がある十二天図の壁を背に阿弥陀如来坐像、十一面観音立像が安置され、境内に高さ2.4m、重文「宝篋印(ほうきょういん)塔」が2基建ち、北側の基礎北面に「永仁元年(1293年)十二月十六日先祖菩提の為、尼浄阿弥陀仏近真」により建立の銘があり、塔身四面に種子梵字を刻み、南側の塔は塔身に四仏が彫られています。
 生駒谷で唯一の古墳「竹林寺古墳」

 古刹の「円福寺」から東へ辿ると、直ぐ「興有寺」で、更に西へ行くと、「竹林寺」があります。また、近鉄生駒線・一分(いちぶ)駅からなら、西側にある国道168号線を横切って、竜田川に架かる清水橋を渡り、川に沿って南下し、第二阪奈の下をくぐったら西の生駒山の方へ向かって600m行くと、道の右に「竹林寺」の石柱が建っています。参道右手藪の奥が「竹林寺古墳」、全長約45m(当初推定60m)、高さ8mの前方後円墳で、今は後円部のみが残る古墳時代前期のもの、主体部は礫(れき)床上に舟形粘土床を設け、その上を礫、板石等で覆い、「長宜子孫」銘の内行花文鏡、刀剣片、埴輪片等が出土しました。
 律宗、生馬山「竹林寺(ちくりんじ)」*

 竹林寺古墳の横を通り、左へ折れると「竹林寺」です。奈良時代に文殊菩薩の化身と仰がれた行基大菩薩が、40歳の頃に生馬仙房(いこませんぼう)をかまえた故地で、入寂時に、遺命により生駒山東陵で火葬にして、ここへ葬られ、1235年(文暦2年)行基の舎利瓶が出土し、国重文「行基骨蔵器残片」は今奈良国立博物館で所蔵、平成10年再建の本堂に「文殊菩薩像」と「行基菩薩像」を安置しています。なおその昔ここで、円照(えんしょう)、良遍(りょうべん)、忍性(にんしょう)、凝燃(ぎょうねん)ら高僧が集い堂塔を整えましたが今は衰え、寺名の「竹林寺」は文殊菩薩の霊場中国の五台山大聖竹林寺に因みます。
*拝観は、世話方の中尾さん(TEL 0743-77-8444)へ事前に連絡して下さい。




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