北山の辺の道  その2

 「鏡(かがみ)神社」の本殿

 「新薬師寺」の南門を出た直ぐ西隣に鎮座するのが「鏡神社」です。740年(天平12年)玄ム(げんぼう)、吉備真備を弾劾し、橘諸兄らの勢力を排除しようとして北九州で反乱を企てたけど、破れて肥前で処刑された大宰少弐の藤原広嗣(ひろつぐ)の怨霊を鎮める為、806年(大同元年)肥前(唐津市)の鏡神社を勧請し、祭神は藤原広嗣、天照皇大神、地主神で、現本殿は、1746年(延享3年)春日大社第46次式年遷宮の造営時に、春日大社の第3殿を譲渡され、移築した社で、奈良市指定文化財、昭和34年の修理時に屋根裏の二カ所から「三ノ御殿」の墨書銘が発見され、移築時の形状を良く残し価値が高い建物です。
 奈良市写真美術館(TEL 0742-22-9811)

 新薬師寺の西隣に在るのが奈良市写真美術館です。平成4年に88歳で亡くなられた奈良の写真家、入江泰吉氏が生前に撮されて、奈良市に寄贈された大和の寺社、仏像、風物の写真約8万点と、明治、大正期の写真家で奈良の寺社、仏像を撮された工藤利三郎氏の写真約2千点を収蔵し、随時テーマを設定しそれらの写真が展示されています。なお、入館料500円で、入館は9:30〜16:30。休館は、月曜(但し、祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(但し、翌日が平日の時のみ)です。写真館の建物はガラス張りで、黒川紀章氏が設計し、滝の在る庭が素晴らしい造りです。また、駐車場も完備され、39台の収容が可能です。

 万葉集に詠まれた能登川(のとがわ)

 新薬師寺から白亳寺(びゃくごうじ)の間は、道標「歴史の道」に従って歩くと、いかにも家並みが大和路らしいのどかな道で、途中何の変哲もない能登川に写真の様な「高砂橋」が架かっています。余りぱっとしない「能登川」ですが、それでも万葉集に詠まれて

 能登川の水底(みなそこ)さえに照るまでに
  御笠の山は咲きにけるかも  巻10−1861

なお、能登川は国特別天然の「春日山原始林」に源を発し、旧柳生街道「滝坂の道」に沿って流れ、下流で 「岩井川」と合流して、「佐保川」へ注いでいます。
 白毫寺(TEL 0742-26-3392)

 山門から萩の咲く石段を上がると、真言律宗高円山「白亳寺(びゃくごうじ)」です。第38代天智天皇の第7皇子、志貴皇子の山荘跡で、高円山(たかまどやま)の西麓に建ち、平安遷都によって寺勢が衰えたけど、鎌倉時代に戒律復興や貧民救済に活躍した叡尊が再興し、後に叡尊の弟子の道照(どうしょう)が、1261年(弘長元年)宋から「宋版一切経」を持ち帰って、翌年から毎年「一切経会(え)」を行い、別名「一切経寺」と呼ばれて親しまれたが、室町時代に兵火で全山を焼失し、1630年頃(寛永年間)興福寺の学僧空慶上人によってようやく復興され、なお、今でも毎年4月8日「一切経会」が行われています。




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