北山の辺の道  その1

 近鉄奈良駅を出た所の「行基像」

 奈良から「山の辺の道」を歩くには、出発点が近鉄「奈良駅」なら、地下からエスカレーターで上がって外へ出た「行基菩薩像」の所から出かけるが、横着をする場合には、JRまたは近鉄の「奈良駅」から市内循環外回りの奈良交通バスに乗車して、バス停「破石(わりいし)町」で下車、そこから東へ600m行き右折して南へ向うと「新薬師寺」です。なお、バスに乗車しない場合は、JR「奈良駅」から「三条通り」を東へ、または、近鉄「奈良駅」外の「行基像」から「東向商店街」を南へ出て「三条通り」を東へ行き、鹿を見ながら「春日大社表参道」を更に東へ行って右折し、「囁きの小道」を南へ行くのも趣があります。
 不空院(TEL 0742-26-2910)

 なお、「新薬師寺」の手前に真言律宗春日山(しゅんにちざん)「不空院」があり、通称「福井之大師」と云い、本尊は重文「木造不空羂索観音坐像」です。元は鑑真の住坊で、後に空海が藤原冬嗣の為に南円堂を創建する際、その雛型の八角円堂(安政の地震で倒壊)を造立し、鎌倉時代に円晴、叡尊、覚盛、有厳の四律僧が当院で戒律を講じ、「大乗院寺社雑事記」の応仁2年(1469年)10月17日の条によれば、大乗院の祈願所で、本堂に祀られている弁才天女は、奈良町の芸妓達に深く信仰され、福院と呼ばれ、一名「かけこみ寺」とも云われ、なお、境内には井上皇后の御霊塚や、縁結び・縁切りの二つの祠もあります。

 新薬師寺(TEL 0742-22-3736)

 華厳宗日輪山「新薬師寺」は、747年(天平19年)3月聖武天皇の眼病平癒を願い、光明皇后が九間の仏堂を建立され、七仏薬師像を安置したのが始まりで、実忠が東大寺の別院にして、780年(宝亀11年)西塔が落雷で炎上し、1180年(治承4年)平重衡の兵火を経て、鎌倉時代に解脱(げだつ)上人や明恵(みょうえ)上人らが伽藍を整備し、国重文の東門、南門等が建立されて現在に至り、江戸時代に将軍綱吉の母、桂昌院(けいしょういん)の援助によって国宝の本尊「木造薬師如来座像」などの修理が行われました。なお、寺名の「新」は「あたらしい」と云う意味でなく、霊験が「あらたかな」と云う意味です。
 新薬師寺の国宝「本堂」

 国重文の南門(鎌倉時代中期の造立で、1間1戸、切妻造・本瓦葺の四脚門)をくぐると、正面が国宝の本堂(桁行7間・梁間5間、入母屋造・本瓦葺)で、創建当時は食堂(じきどう)でしたが、現在は清楚なただずまいをもつ堂内に国宝で本尊の「木造薬師如来座像」を守る様に国宝の「塑像十二神将立像」が円陣を組んで立ち、中でも勇壮な伐折羅(ばさら)大将は人気の主役で、造られたのは宮毘羅(くびら)大将の江戸時代を除いて、他は全て天平時代末期の傑作像です。なお、境内も秋には「萩」の名所になり、また、境内奥の地蔵堂裏手に並ぶ五体の地蔵さんの内、一体は紙貼り地蔵と呼ばれ、病気平癒の利益が有ります。




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