室生と大和富士周辺  その8

大野寺の北に在る「海(かい)神社」

 大野寺の北、近鉄大阪線室生口大野駅から東へ徒歩約5分の所に注連縄がちょこんと掛かる朱色の鳥居をくぐって、更にコンクリートの鳥居をくぐり、参道の脇に大きな「神代杉」が植わるっている少し急な石段を上がると「海神社」です。本殿は、三間社流造檜皮葺、春日造を改造した千鳥破風付で、江戸時代前期に建てられ、奈良県指定文化財です。祭神は、兄の海幸彦から釣り竿を借りて針を無くし、海神の宮殿に針を探しに来た山幸彦と結婚した豊玉姫(とよたまひめ)命で、海神・綿津見神(わたつみノかみ)の娘です。なお、本殿には、天照大御神荒瑰、少那彦名命、牛頭天皇、九頭龍大明神、善如龍王らも祀られています。
近鉄三本松駅の近くの「海神社」

 近鉄大阪線とほぼ平行に流れる宇田川に沿って下ると、近鉄室生口大野駅の隣の駅が三本松駅で、そこの近くにも「海(かい)神社」が在ります。なお、当社は、1396年(応永3年)室生の「竜穴神社」から祈雨止雨の霊験が厚い善女竜王を勧請し、1754年(宝暦4年)の郷鑑では、「善女竜王社」と記されていますが、明治初年頃の神仏分離令により海神の姫、豊玉姫命を祭神とし、社号も「海神社」と改称されています。また、豊玉姫命は、万物の命の源である水を統御されて、五穀の豊穣をもたらす霊能の豊かな神であらせられ、安産の神、鎮守の神等としても御神徳が高く、古くから近在では崇敬の至情を集めています。
 無宗派、真堂「安産寺」

 「海神社」の前の「宇陀川」を渡って、国道169号線の下のトンネルを潜って北へ向い、更に近鉄大阪線の下のガードを潜り、道なりに右へ折れて坂道を上ると、宇陀市室生町三本松中村の高台に「安産寺」があります。本堂の裏の収蔵庫に安置され、沓(くつ)を履いた重文の本尊「子安地蔵」は、榧(かや)の一木から彫り出された室生寺様(よう)の地蔵菩薩で、像高177.5cm、古老の云い伝えによると、昔、豪雨の時、宇陀川が増水し、上流から仏像が流れて来て、「海神社」脇の川辺に辿り着き、担いで上り、この地で担ぎ手が「ああ辛度(真堂の語源)」と云って下ろしたら、動かなくなり、ここに安置されました。
 白鳥(しらとり)神社

 「子安地蔵」の脇を東へ向って、大きく左へ折れて北へ上り、西へ向い、仮屋川を渡ると、宇陀市室生町三本松琴引で、右(北)の山裾に「白鳥神社」が鎮座しています。祭神は、日本武尊、本殿は、40cmの石壇上に建ち、春日造、桁行3尺3寸、梁間2尺9寸で、前に春日鳥居と切妻の簡素な拝殿があり、境内には寛文13年(1673年)の石灯籠が建っており、高さ約1m50cm、四角方柱で、境内の周りには、杉の大木が生い茂っています。なお、「日本書紀」の景行天皇条で「倭の琴弾原」と伝えられる「日本武尊白鳥陵」は、宇陀市大宇陀町山口にあり、日本武尊の白鳥伝説が残る別の「白鳥神社」が鎮座しています。
 長命寺(ちょうめいじ)

 「白鳥神社」から「旧伊勢表街道」を更に西へ向うと、宇陀市立三本松小学校の下をかすめて、旧伊勢表街道から南へそれると、近鉄大阪線を跨ぐ「薬師橋」を渡った所に「長命寺」があります。ここは、源義経または北条時頼が琴を弾いたと云われる参籠伝承地、今も宿場の面影が残る旧伊勢表街道(青垣道)を西へ少し行った所が伊賀から大和へ越える「琴引峠」で、東へ2里11丁の名張、西へ2里2丁の榛原の両宿場の中間点に当り、格好の小憩地で茶屋も賑わい、松尾芭蕉は3度も越え、本居宣長を始め多くの高名な学者や文人も通ったが、明治初年の道路整備や昭和3年の鉄道路線堀削にともなって往時の繁栄が廃れました。
宇陀川を堰き止めた「室生ダム」

 近鉄大阪線室生口大野駅からバス通りを室生寺の方へ歩き、大野寺の前を通り宇陀川に架かる赤い欄干の橋を左に見て、渡らないで、そのまま真っ直ぐ坂道を登って行くと「室生ダム」です。三重県名張市の青蓮寺ダムと同様に淀川水系木津川上流総合開発の一環として、名張川の支流である宇陀川中流部に建設された多目的ダムで、昭和28年度から建設省により調査が進められ、昭和41年水資源開発公団事業に加えられて、昭和44年9月工事に着手し、昭和49年3月に完成しました。水は、ダムの下流で宇田川に合流する室生川からも島谷水路を経て貯水池に導入され、生駒市、奈良市、桜井市など約15市町村へ送られます。
 深谷渓谷の「竜鎮の滝」

 「室生ダム」から「室生湖」畔沿いに南へ行って、大きく右へカーブする所で、赤い欄干の「竜鎮橋」を渡り、湖畔沿いの舗装路の方へ行かずに、橋の袂から湖へ流れ込む深谷(ふかや)川沿いの土手道へ入り、約10分も遡(さかのぼ)ると、宇陀市の榛原と室生の境辺りに「竜鎮(りゅうじん)の滝」があります。渓谷の水は、平成3年に「大和の水」として清澄な水31箇所の1つに選ばれ、春から秋にかけ、ハイカーやボーイスカウトの野外活動地に利用され、特に夏は都会から納涼を求めて来る人が多く、飯盒炊爨などを楽しむ人で賑わい、滝から渓谷沿いに上ると室生古道の「天王橋」へ出て、また「腰折地蔵」へ至ります。
 七福神の1人、石仏「布袋(ほてい)尊」

 「室生ダム」から「室生湖」の東側を右廻りに歩くと、湖を横断する1つ目の橋が「下山橋」、2つ目が「赤人橋」、3つ目が「下戸橋」で、その手前に石仏「布袋尊」が湖畔の道沿いに座っています。彼は七福神の中でただ1人、この世に生を受け、9〜10世紀中国唐末に実在した人で、中国後梁の高僧、名を契此(かいし)と云い、小柄な体に丸々とした腹を出し、常に大きな袋をになっていますが、その袋の中には、生活必需品を全部入れて、乞食の行をしながら町中を歩き、肉や魚をもらっても少し食べ、残りは全て袋の中に入れて蓄え、色々奇行の多い和尚ですが、人知を越えた超能力を持ち、吉凶や天候を占ったそうです。
 室生湖を跨(また)ぐ「赤人橋」

 石仏「布袋尊」を見て、「下戸橋」を渡らず、更に「室生湖」畔を進んで、次ぎに「高星橋」を渡って、なお西へ行くと、「宇陀川」沿いに「子供の森公園」がありますが、「下戸橋」を渡ると「室生湖」の西側へ至り、途中から「東海自然歩道」で、また、対岸に先の「赤人橋」が見えて来ます。昭和49年1月竣工し、山辺赤人(やまべノあかひと)に因んで名付られた橋で、この辺りが宇陀市榛原山辺三です。奈良時代の万葉歌人、三十六歌仙の1人、 山部赤人は、叙景歌にすぐれ、柿本人麻呂と並び歌聖と称されています。なお、「赤人橋」の袂に「淡水魚供養碑」が建っていて、室生湖で目の下約40cmのヘラ鮒が釣れます。
 室生湖畔の「ぬれ地蔵」

 「室生湖」畔沿いに北上し、伊勢街道(あお越え)と出会して、右へ曲がり「地蔵橋」を渡って右へ行くと「赤人橋」ですが、左へ行って、「天満川」を渡り「室生湖」に突き出たコンクリートの突端から対岸を見ると、ダムが干上がっていたら「ぬれ地蔵」が見えます。室生火山岩の切り立った崖に1m82cmある舟形の中に半肉彫りで立ち、鎌倉時代中期の作、雨が降ると岩肌が濡れ、水が上から滝のように流れ落ちて来るため、その名が付けられました。現在は、ダムの満水時にその秀麗な姿を隠す魅力的なお地蔵様として親しまれています。ここから北へ行くと約300mで国道165号線へ出て、バス停「山辺」があります。
 「葛(くず)神社」

 国道165号線から北へ向かう角の所に「葛神社」が鎮座しています。創建された年月日は不詳ですが、往時古老の伝として、第11代垂仁天皇25年の春、天照大神が倭(大和)の笠縫邑(かさぬいむら)から伊勢に遷(うつ)る時、ここからちょっと東へ行った「篠畑(ささはた)神社」で鎮座され、それを御導守された神が豊耜入姫命(とよすきいりひめノみこと)と倭姫命(やまとひめノみこと)で、この2柱の神を「篠畑神社」の摂社として祀っていましたが、中古に今の祭神「天照大神」を祀り、毎年7月第1日曜日、龍神神徳の「歯固め祭」で、小麦餅が授与されます。




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